醋拌水蓮菜│和風ガガブタのおひたし

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難易度: 調理時間:一瞬
水蓮菜という台湾でよく見かける野菜を使った『醋拌水蓮菜│水蓮菜のサラダ』のレシピを紹介します。日本には観賞用にしか導入されていない植物なので、日本ではまず手に入らないと思います。台湾では普通に買えるので、旅行時や長期滞在時に調理してみましょう。煮込んで醤油と酢をかけるだけです。

水蓮菜は台湾での呼び名で、和名はタイワンガガブタ、中国と台湾で標準名が異なり、中国では刺種莕菜、台湾では龍骨瓣莕菜といいます。学名は Nymphoides hydrophylla (Lour.) O. Kuntze です。まぁ台湾で龍骨瓣莕菜と言っても植物学者くらいしか分かりません(笑)。台湾ではほぼ100%水蓮菜で通じます。

台湾では水中に延びた細長い"茎"を食用にします。

タイワンガガブタをはじめとするアサザ属の植物はスイレンととても似ています(属名もスイレン(Nymphaea)に似ているので Nymphoides)。最大の違いはスイレンの葉は葉柄を延ばして水に浮いているのに対して、アサザ属は茎を伸ばして水に浮くこと。水中からにゅーっと延びている部分は実際には茎です。アサザ属の植物は葉柄と茎の切れ目が水面から数センチのところにあり、ここから根や花が延びて独立した植物体となることが出来ます。クローン増殖できる珍しい植物です。まぁ、誰も気にしないと思いますが…(笑)。

台湾では食用に盛んに栽培されており、最大というか唯一の産地は高雄市の美濃区。市場に出回るほぼすべての水蓮菜が美濃区から出荷されています。スーパーでよく見かける野菜の一つなのですが、実は台湾では高雄市美濃区の特定地域以外では見ることの出来ない珍しい植物の一つです。もともと現地の客家らが食用に用いていたのが何かのきっかけで他の地域の人にも知られるようになり、台湾全土に流通するようになりました。

アサザ属の植物は可憐で美しい花をつけ、観賞用としても人気があります。同属の植物はバナナプラントの名前でアクアリウムの水草としても使われているそうです。


細長いソーメンのような見た目で食感はシャキシャキ、ほのかな苦味に野菜の甘さがあり、とてもおいしい野菜です。日本では食べられない野菜なので台湾訪問時にぜひ味わってみてください。


青椒鑲肉│ピーマンの肉詰め

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難易度:☆ 調理時間:30分以内
晩御飯のおかずにピッタリの『青椒鑲肉│ピーマンの肉詰め』のレシピを紹介します。くり抜いたピーマンに豚のひき肉を詰めて醤油ベースのソースで煮込んで作ります。煮込んで作るので油っぽくなく、どんな料理ともあわせやすいおかず料理です。

ピーマンとトウガラシはもともと同種の植物であることはご存知の通りですが、今回はより踏み込んでトウガラシとピーマンがどうして分かれてしまうのかを生化学的に説明したいと思います。

トウガラシの全ゲノム情報が解読されたのは昨年2014年の韓国において。さすがというかやっぱりと言うかトウガラシの研究は韓国が進んでいます。"Genome sequence of the hot pepper provides insights into the evolution of pungency in Capsicum species" (Nature Genetics, 46, 270–278という論文に詳細があるので興味(と専門知識)がある方は読んでみましょう。

トウガラシの辛味成分カプサイシンはフェニルアラニンとバリンという2種類のアミノ酸がそれぞれ数段階の生合成を経て、最終的にバニリルアミンと8-メチル-6-ノネノイルCoAという物質がカプサイシン合成酵素(CS)によって結合して合成されます。論文によると辛くないトウガラシ、ピーマンはこの最終段階のCSの遺伝子が発現しないことによりカプサイシンの合成が行われていないことがわかりました。また実は同じナス科のトマトもトウガラシとほとんど同じ遺伝子を持つのですが、トマトではCSのほか、2-3種類の合成酵素の遺伝子がほぼまったく発現しておらず、そのためカプサイシンを合成できないことが分かりました。

(人為的にとか…)何かの拍子でトマトのCS遺伝子などが発現してしまうと、トウガラシのように辛いトマトが出来てしまいそうです。植物への遺伝子導入はそれほど難しい技術ではないので、トウガラシのゲノムが明らかになった今、マッドサイエンティストがその気になれば辛いマンゴーや辛いコメなどを作ることも不可能ではなさそうです。ちょっと食べてみたい気も…。

もともと辛かったトウガラシのCS遺伝子が欠損、または発現しなくなったのはもともと熱帯植物であったトウガラシが寒冷な気候に適応するためであったといわれています。そのためCS遺伝子が眠っているだけの辛くないピーマンやパプリカを温暖な条件化で長期間栽培するとCS遺伝子が目を覚まし、突然辛味を持つこともあるそうです。不思議な話ですね。条件さえ整えば突如眠った遺伝子が目を覚ますとは…なんともロマンチックであり、少し恐ろしくもあり…。

それではレシピです。



台式雞絲涼麵│台湾風冷やし中華

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難易度:☆ 調理時間:30分以内
台湾夏の風物詩…という分けではありませんが、暑い夏にピッタリの『台式雞絲涼麵│台湾風冷やし中華』のレシピを紹介します。サッと作れてお腹一杯になるので、なるべく家事に手を抜きたいこの季節にはピッタリです(笑)。

日本のJAS規格では小麦粉に塩を混ぜて機械で延ばした麺を太さによりうどん、冷麦、そうめんと呼び分けます。太さ1.7mm以上がうどん、1.7~1.3mmが冷麦、1.3mm以下がそうめんです。手延べの場合は冷麦とそうめんが合流し、1.7mm以上を手延べうどん、1.7mm以下を手延べ冷麦、または手延べそうめんと呼びます。添加物など細かく違いはありそうですが、うどんも冷麦もそうめんも基本は同じものなのです。

小麦粉麺が中国から日本に伝わったのは奈良時代とされ、当時は「索餅(さくべい)」、またその形状から「麦縄(むぎなわ)」と呼ばれました。室町時代には「索餅」を改良した「索麺(さうめん)」や生地を包丁で切ってつくる「切り麺」が普及し、熱いものも冷たいものもひっくるめて麺をスープで食べる料理を「うどん」と呼ぶようになります。もともと「麦縄」と呼ばれていたこともあり、熱いスープで食べるものを「熱麦」とも呼びました。

温かいスープに入れて食べる麺は保温のため徐々に太くなり、冷たいスープで食べるものはより冷やしやすくするために徐々に細くなり、これにより太いうどんと細い冷麦が分かれました。「冷麦」とはうどんの「熱麦」に対した呼び方です。


日本におけるうどん、冷麦、そうめんの消費量は年々減少しているようですが、台湾では日本のうどんが大人気です。多くの日本のうどんチェーン店が進出し、台湾人の舌をうならせています。台湾で簡単に和食を食べたい!という方は、こういったうどんのチェーン店に足を運んでみるのも良さそうです。


懷特、香蕉│White、ホワイト種、バナナマンゴー

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懷特、香蕉│White、ホワイト種、バナナマンゴー

「黒香」と同じく日本統治時代に三井物産によりインドのジャカルタから台湾に試験的に持ち込まれた種のうちのひとつ。

1916年から台湾には三井物産によりマンゴーの品種改良のためAlphonso、Applegroom、Aroemanis、Bombay、Carabao、Gadoeng、Hafoas、Java、Manis、Onza、Pairi、Pearl、Pico、Sandersha、Wagim、Whiteなど計33種の品種が断続的に持ち込まれた。これらはすべてインド、南洋地域から導入されたため南洋種とも呼ばれる。

上記の品種はすべて味や香りに非常に優れているが、台湾の気候に適合せず結実率が悪かったためほとんどは研究が中止、廃棄、または放置された。この時代に台湾に導入された種のうち台湾に現存するのはここで紹介するWhite、Carabao、Aroemanis(「黒香」)の三種のみである。どれもほぼ趣味レベルでの栽培しか行われておらず、中でもWhiteの生産量が最も多いとされる。

White種はその独特の勾玉状の形と黄色の果皮から「香蕉檨」、「象牙檨」、「竹葉檨」などとも呼ばれる。市場ではもっぱら「香蕉(芒果)」の名称で親しまれている。また「金煌」の父系統としても有名で、マンゴーの品種改良にも用いられる。

旬は5-7月。未成熟の果皮は薄緑だが、完熟すると「金煌」のような鮮やかな黄色になる。果皮部分に繊維質が多いが、果実が大きいので可食部は多い。果肉は薄い黄色で外見だけでなく果肉もバナナに似ている。

果実の重量は200-400g前後、大きさは個体差が激しいが長さ約16cm×幅約11cm×厚さ約10cm。巨大なものは長さ20cmを超える。糖度などのデータはない。

ほとんど趣味レベルで栽培されているだけなので生産量は少なく、統計データもない。消費者には根強い人気がある。

 その細長い形状はまさに太めのバナナである。

滑らかで白みがかった果肉は正にバナナ。

棒棒雞│棒棒鶏、バンバンジー

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難易度:☆ 調理時間:30分以内
定番四川料理の一つ『棒棒雞│棒棒鶏、バンバンジー』のレシピを紹介します。手軽に作れる上にさっぱりとした味付けで、暑い夏には持って来いの中華料理です。

『棒棒雞』の「棒」とは、もともと火を通した鶏肉を棒で叩いて裂いたことに由来します。本場四川では鶏肉のみで他の野菜は使いませんが、日本や台湾ではキュウリなどの野菜を添えて作るのが普通です。今回のレシピでもキュウリを添えています。

ソースの作り方も作り手によって千差万別で、味の素などを使ってうま味たっぷりに仕上げたり、香辛料を多用して香りや辛さを際立たせたりと様々な『棒棒雞│棒棒鶏、バンバンジー』が存在します。休日は自分好みの『バンバンジー』を探して四川レストランめぐりと洒落込むのも悪くなさそうです。

肉を棒で叩いく技法は中国で6世紀に書かれた《齊民要術》という書物に記載があります。この書物は世界最古の農業書としても有名なのですが、その第八巻に"作度夏白脯法:(中略)浥浥時,以木棒輕打,令堅實。〈僅使堅實而已,慎勿令碎肉出。〉"という記載があります。当時は肉を固めるための技法だったようで、肉を潰してはならないという注意書きがあります。

残念ながらこの『白脯』の作り方は今では失伝してしまい、再現した料理を作れなくなくなってしまいました。そして明清代この『白脯』の作り方を模したとされる『棒棒鶏』がなぜか四川省で生まれ、今に伝わることとなりました。伝説によると『棒棒鶏』は四川省南部にある楽山地区で生まれたとされ、最初期は『嘉定棒棒雞』、『樂山棒棒雞』などと呼ばれていたそうです。ぜひ本場の『棒棒鶏』を現地で味わってみたいものですね。

台北にも数多くの四川料理の店がありますが、各店の『バンバンジー』はそれぞれ驚くほど味に違いと特徴があります。筆者も今週末は四川料理店めぐりに出かけてしまいそうです(笑)。



炸滷牛肉│牛肉揚げのあんかけソース煮込み

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難易度:☆ 調理時間:2時間
ピリリと辛味を効かせたスープで牛肉の唐揚げを煮込んで作る『炸滷牛肉│牛肉揚げのあんかけソース煮込み』のレシピを紹介します。七味唐辛子は料理に直接かけるだけでなく、煮込み料理にも使えます。

香辛料の歴史は非常に古く、インドでは紀元前3000年にはすでに栽培、利用されていたことがわかっています。紀元前の頃はアジアとヨーロッパが自由に行き来できた時代で、徐々ではありますがヨーロッパに香辛料がその存在を多くの西洋人が知ることとなりました。1世紀ごろにはシルクロードを通じて多くの香辛料がヨーロッパにもたらされ、ヨーロッパでも割りと普通に香辛料を使った料理が楽しめていたようです。水が乏しい地域ではほとんど沐浴の習慣がなく、肉食の問題もあって体臭が大きな問題となっていた地域ではこれでもかと香辛料を使った香りの強い料理が発達しました。

しかし中世ヨーロッパでは香辛料を巡る様相が一変します。ローマ崩壊、十字軍などにより東西の交流が途絶えると、香辛料の価格は跳ね上がり、貴金属のように取り扱われることとなります。特にオスマントルコの勃興により陸上の香辛料交易が途絶えると、ヨーロッパ諸国はこぞって海上ルートの開拓に力を入れ始めました。大航海時代の始まりです。

バスコダガマ、コロンブス、カブラル、マゼランなど、世界史に名を残す航海士らが次々と新世界を発見、新航路を開拓。その後の歴史は皆さんのご存知の通りです。そして当時の列強らはついに東インド会社を通じて経済的にインドを支配、特にオランダの影響は台湾にまで及び、台湾のオランダ統治時代として教科書にも載っています。当時のオランダが残した遺跡は現在まで多く残されており、台湾南部の重要な観光資源となっています。

こうして世界の地図を一変させた香辛料の交易はなんと19世紀中ごろ、冷蔵技術が発明されるまで栄えました。

香辛料が世界史に与えた影響は計り知れません。香辛料は他にも宗教、美術、紅茶、造船、そして経済、哲学などおよそ考えられうるありとあらゆる分野に多大な影響を与えました。もちろんヨーロッパとアジアを結ぶ地域の料理も大幅に変化したのは疑いようがありません。

今でこそ豊富な香辛料を手軽に楽しめますが、それら一つ一つの香辛料の裏には世界を巡る様々なストーリーが隠されていることをお忘れなく。

港式炊飯│香港風五目御飯

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難易度:☆ 調理時間:2時間
香港風の炊き込みご飯『港式炊飯│香港風五目御飯』のレシピを紹介します。大き目の具材がごろりと乗った炊き込みご飯で、日本のものとは材料も見た目も味も異なります。炊飯器で作れるのでぜひ一度挑戦してみてください。中華ソーセージとシイタケのダシが二種類の米に染みておいしいですよ!

香港では広東料理をベースとした伝統的な香港料理のほかに、いわゆるファストフードが発達しています。香港を訪れたことがある方ならご存知でしょうが日本のインスタントラーメン「出前一丁」が非常な人気を誇っており、多くの飲食店で様々にアレンジされた出前一丁を食べることができます。パッケージに描かれるキャラクター 「出前坊や」は広東語で「清仔」と呼ばれます。

日本の出前一丁はは3-4種類の味のバリエーションがあるだけですが、香港で展開される出前一丁のバリエーションは20種類を超え、香港で流通するインスタント麺の半数以上のシェアを持ち、出前一丁は名実共に香港ナンバーワンのインスタント麺ブランドとなっています。出前一丁は台湾でも販売しており一定の人気を保っています。

台湾では他にも多くのカップ麺が売られており、コンビニなどで手軽に入手することができますが、さすがに味に関してはやはり日本のものの方が一日の長があります。ある程度親しい間柄なら日本のインスタント麺をお土産に送ると喜ばれます。


紅棗燉雞湯│ナツメと鶏肉のスープ

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難易度:☆ 調理時間:1時間以内
久しぶりに薬膳の紹介、といっても使う生薬は一種類だけ、『紅棗燉雞湯│ナツメと鶏肉のスープ』のレシピを紹介します。煮込むだけなので超簡単です。

多くの漢方処方、また薬膳で用いられることの多いナツメは生薬名を大棗(たいそう)と呼び、学名を Ziziphus jujuba といいます。台湾ではそのまま乾燥させたものを「紅棗」、蒸してから乾燥させたものを「黒棗」と呼び分け実際に色が異なります。台湾の市場では種を抜いたものと種がついたままのものが売られていますが、大棗として用いる場合は種無しのものを使うといいでしょう。和名の「ナツメ」はそのまま「夏に芽がでる」という植物の特徴から。

ナツメの変種であるサネブトナツメ Zizyphus jujuba var. spinosa の種子を酸棗仁(さんそうにん)といい、鎮静催眠作用があり不眠症などに用いられます。名前には「酸」の字がありますが、酸っぱいのは果肉のほうで種には味がありません。

ナツメは中国北部原産で、非常に古くから食用、薬用に用いられてきました。日本に伝わったのは奈良時代以前といわれています。台湾では同属植物が盛んに栽培されており、果実を生食に用います。中国では古くからその健康効果は知られており、不老長寿である仙人の食べ物ともされました。

漢字の「棗」を良く見ると「棘」を縦に並べたものであることが分かります。実際にナツメの木には托葉が変化した鋭い棘を持つものがあり、サネブトナツメは更に多くの棘を持ちます。棘といえばどうしてもバラを思い浮かべてしまいますが、古代の中国人にとっては棘といえばナツメの木だったのでしょう。

そういえば…故宮博物館の宝物の中に「天真和楽-蘇漢臣嬰戯図双幅」という子供の遊びを描いた絵画があるのですが、これにはナツメの実を使ったヤジロベェ「推棗磨」で遊ぶ子供の様子が描かれています(http://www.npm.gov.tw/exh100/harmony/)またその大きさが指先でつまむのにちょうど良いため、故宮博物館に収蔵されている数多くの宝物のふたや取っ手にモチーフとして使われています。ナツメをテーマにした宝物で故宮博物館の一部屋を埋めるくらいはできそうです。

大棗は韓国料理『삼계탕│サムゲタン』にも鶏肉と一緒に用いられており、鶏肉との相性はお墨付き。ぜひ再現に挑戦してみましょう。


東坡肉│トンポーロウ

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難易度:☆ 調理時間:2時間
炊飯器で作るお手軽『東坡肉│トンポーロウ』のレシピを紹介します。材料を入れてスイッチを入れるだけ!とっても簡単に絶品『東坡肉│トンポーロウ』が食べられてしまいます!

『トンポーロウ』は宋代の文豪である蘇軾によって考案された料理です。今回は彼の半生を追いかけてみましょう。

蘇軾は1037年四川省の眉山で生まれました。中国芸術史上まれに見る"全能"の芸術家といわれ、書、詩、絵画、散文など多くの分野で優れた、というよりは当代最高の作品を数多く残しました。唐宋代を通じて優れた散文家を集めた「唐宋八大家」の一人とされます。彼の残した文章は後代の科挙にも数多く採用され、当時の科挙挑戦者らには「蘇文熟、喫羊肉。蘇文生、吃菜羹。(蘇軾の文に習熟すれば(官位を得て)羊肉が食べられる、そうでないなら(まずしいまま)野菜スープを飲むことになる)」という風に表現されました。

もともと大臣の家系に生まれ、父の蘇洵(「唐宋八大家」の一人)と弟の蘇轍(「唐宋八大家」の一人)も優れた芸術家として名を残しており、父と弟を含めて「三蘇」とも呼び称えられます。蘇軾はもともと非常に奔放な性格で、官位を得るまではあちこち遊びまわっては友人らと新しい料理の開発に挑戦したり、山に篭って茶を嗜んだりと仙人のような生活をしていたそうです。

1057年に20歳の若さで科挙に合格してからは、黄河の氾濫を治めたり、地方の裁判長を務めたりしながら創作に励みました。当時の大臣王安石(彼もまた「唐宋八大家」の一人です)により制度を大きく変革する法律が提案され、これが宋の国内で一大論争を巻き起こすのですが、蘇軾はこれに反対、同じく反対派の同僚らと湖州に出奔します。そして湖州で政敵の姦計に嵌り逮捕、投獄、死刑宣告されてしまうのです。

蘇軾の作品を高く評価していた当時の皇后や著名な芸術家仲間らの嘆願により、死刑を免れ黄州に流されました。黄州は豚肉の産地で、名物の豚肉を使って蘇軾が創作した料理は『紅焼肉』と呼ばれて人々に愛されたそうです。その後皇帝が変わり王安石は失脚、反対派の蘇軾も中央に戻され、この時杭州の知事などにつきました。

『トンポーロウ』が生まれたのはこの時とされます。蘇軾が自宅近くを歩いている時に(おそらく蘇軾つきの)料理人が豚肉を炊いているのを見つけました。過去に料理を研究したこともある蘇軾は"豚肉を煮込むときは弱火で、水は少なめに(『紅焼肉』の作り方)、あと食べるなら酒を用意しろ"と言って料理人に紹興酒を送ったそうです。しかし料理の説明と共に酒を送られた料理人はその酒を調理に使うものだと誤解し、すべて鍋に入れて豚肉と一緒に煮込んでしまいました。それを献上された蘇軾はその味に驚き、新しい『紅焼肉』として非常に愛したということです。芸術家としての蘇軾の号は「東坡」というのですが、この新しい『紅焼肉』は号を取って『東坡肉』と呼ばれるようになり、現在に伝わることとなりました。

さて中央に戻った蘇軾ですが、新法反対派の中にあって"合理的ならば新しい法も一部許容すべき"という意見を述べ、反対派の中でも賛同を得られず、1094年に再び広東省恵州にまで左遷、再び新法派が力をつけた1099年には海南島まで飛ばされてしまいました。

更に皇帝が変わって新旧派の融和が図られてからは中央に戻されましたが、蘇軾はその帰路で病死、1101年のことでした。優れた才能を持ちながら時流に翻弄された蘇軾、若いうちから優れた作品を多く残していますが、後半生はある種の諦めというか悟りのような境地で数多くの"抜けた"作品を残しています。興味のある方は著作の現代語訳を読んでみましょう。

もちろん当日の夕食は『トンポーロウ』で。




香煎豆皮卷│野菜の湯葉巻き焼き

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難易度:☆ 調理時間:30分以内
昨日に続いて絶品素食のレシピを。湯葉で作る『香煎豆皮卷│野菜の湯葉巻き焼き』のレシピを紹介します。細かくみじん切りにした野菜を湯葉で閉じ、パリパリに焼いて作る料理です。

我々は日常的に「野菜」という単語を使っています。いわゆる野菜を中国語では「蔬菜」というのですが、日本語の「野菜」と同じように中国語の「蔬菜」も定義にかなりの幅があります。

日本でも台湾でも盛んに議論される問題の一つに「スイカは野菜(蔬菜)か果物か?」があります。

日本の園芸学での野菜の定義は「食用とされる草本植物の総称」ですので、スイカは野菜です。またこの定義によるとイチゴやメロンも野菜になり、タラの芽などの木本植物は野菜ではないことになります。

台湾の園芸学での蔬菜の定義は「栽培後数ヶ月~一年以内に収穫できる食用植物の総称」です。もちろんスイカやイチゴは野菜に含まれます。木本植物でも新芽を採取して食用にするものは…(微妙ですが)野菜に含まれそうです。通常ニラやアスパラガスは二年目以降から収穫するのですが、一年目でも一応収穫は可能なのでやっぱり二つとも野菜に入りそうですね。

日本も台湾も園芸学上の定義が異なっているのが面白いですね。ちなみにその他の国で野菜を表す単語のおおまかな定義は、韓国では「채소:食用が可能な草本栽培植物」、インドネシアでは「Sayuran:生、または最小限に加工した状態で食用が可能な植物由来の食品」、フランスでは「Légume:植物の食用部分」、英語では「Vegetable:サラダ、または食事の一部として人間に食用として消費される食用にされる植物の部位」となっています。

韓国は日本とほぼ同じ、インドネシアは生に近い状態で食べられるか否かを重視しているようで、フランスはかなり大雑把、英語では人間中心に偏った定義の仕方がされています。各国の野菜の定義にはもちろんかなり大きな曖昧さがあるので、なかなかこれが野菜だという定義を見つけることは難しそうです。しかしどの言語も野菜の定義がまったく異なっていて面白いですね。どの国も狭義にはキノコ類を含まないのが通例のようです。

各国の辞書から野菜の定義を抜き出し、そのどれもに共通する「完全野菜」と国によって野菜の定義から外れる不完全野菜の差を調べてレポートにしてみるといい点もらえそうです。うーん、筆者が学生だったらすぐやってたなぁ…(笑)。



豆腐獅子頭│豆腐団子の中華風煮込み

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難易度: 調理時間:1時間以内
豆腐で作る『獅子頭』、精進料理の一つ『豆腐獅子頭│豆腐団子の中華風煮込み』のレシピを紹介します。肉の代わりに豆腐で肉団子を作ってソースと一緒に食べる料理です。台湾ではほとんどの素食レストランでメニューに載っているオーソドックスな素食料理の一つです。

豆腐で作る『獅子頭』ということで、今回は豆乳から豆腐ができるメカニズムを科学的に追いかけてみたいと思います。

タンパク質は多くのアミノ酸が鎖状に結合して出来ています。それぞれのアミノ酸は電離度(=水溶性)に違いがあり、タンパク質は電離度の高いアミノ酸が密集するエリア(=水に溶けやすい)と電離どの低いアミノ酸が密集するエリア(=水に溶けにくい)に大まかに分けられます。アミノ酸同士が繋がったタンパク質は長い鎖のようなもので、豆乳のように水に溶けやすいタンパク質は水に溶け易い部分を外側に、解けにくい部分を内側に折りたたむことで(タンパク質の三次元構造といいます)水に溶けているのです。他にも別のタンパク質や同じタンパク質内部のシステインがジスルフィド結合(-S-S-)することで連結されていることがあり、それぞれのタンパク質をサブユニットなどと呼びます。

これらのタンパク質の立体構造は温度によって変化します。透明で流動性をもつタンパク質が加熱によって白く凝固するタマゴの卵白の例が分かりやすいでしょう。豆乳の大豆タンパク質は約100度で3-5分加熱すると、毛玉のように丸まっているタンパク質が糸のような二次元構造のタンパク質単体にほぐれる性質を持ちます。

こうしてほぐれたタンパク質にいわゆる「にがり」と呼ばれる金属イオン、一般的にはマグネシウムイオンかカルシウムイオンを加えると、ほぐれたタンパク質のカルボキシル基や負電化を持つアミノ酸のアスパラギン酸やグルタミン酸を架橋し全体が緩やかに固まり始めます。この時、網目状になったたんぱく質の間から水分を押し出してやると比較的固めのいわゆる木綿豆腐が、水分を内部に保持したまま固めるといわゆる絹ごし豆腐ができるのです。

日本の豆腐はほとんどが「にがり」、マグネシウムイオンを使って凝固させたものですが、台湾の豆腐は半数ほどが「石膏(焼石膏)」、カルシウムイオンを使って凝固させたものです。メカニズムは同じなのですが、凝固速度の違いなどにより食感が少し異なります。石膏を使って凝固させた豆腐がいわゆる『豆花』、食品としては「嫩豆腐」と呼ばれます。

原理的にはカルシウムやマグネシウムと同属のベリリウムやストロンチウム、バリウム、他にも2価以上の金属イオンでもそれぞれ豆腐が作れそうですね。しかしベリリウムはそのものに割りと強力な毒性があるため食用として使えません。バリウムもイオンに毒性があります。ストロンチウム豆腐なら毒性もないしほとんど体内に吸収されない、吸収してもカルシウム利用率を高めて骨粗しょう症の改善などが見込めるため、作ってみる価値はありそうですが、恐ろしく高価になってしまうでしょうね。もともと生体内にある金属元素を使わないと食べると大事になりそうです。亜鉛なら…うまく行くかなぁ…。色々な金属元素で豆腐を作ってそれらの性質を発表したら…、イグノーベル賞の候補くらいにはなれるかも知れませんね(笑)

今回の料理はしっかりとした食感を出すため木綿豆腐で作ります。ぜひお試しください。


紅酒燉牛肉飯│ビーフシチューご飯

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難易度:☆ 調理時間:1時間以内
たまには西洋風の料理にもチャレンジ!洋風『紅酒燉牛肉飯│ビーフシチューご飯』のレシピを紹介します。台湾の高校や大学の食堂ではおなじみのメニューで、一年を通して人気があります。

中国語で言う「紅酒」とは一般的にはいわゆる「赤ワイン」を指します。中国語学習者にはとても基本的な単語なのでご存知の方も多いことでしょう。

ところで台湾では紅麹を使って作る「紅酒」という醸造酒が伝統的に製造されているのをご存知でしょうか?紅麹を使って作るので文字どうり赤い色がついており、健康に良いということで古くから台湾人に愛されてきた特殊なお酒です。今回はこの台湾の「紅酒」について解説してみます。

ちなみに紅酒ではさすがにワインと紛らわしいので、現代では「紅露酒」とも呼ばれます。(以下の文脈では紅酒を紅露酒の意味で用います。)

紅酒は台湾を代表するお酒の一つです。伝説によると明清代に福建省安渓の移民らにより台湾にもたらされたとされ、古くから台湾の漢人らに「長命酒」として愛されました。通常は出来たてをすぐに消費しますが、1-2年以上保管すると中の色素が変質し、美しい黄金色のお酒に変わります。この長期間保存した紅酒を特に「老紅酒」と呼び高級品として流通します。

日本統治時代に酒は総督府の専売制となり、各地の酒工場は総督府の監督の下醸造技術の向上に努めました。日本統治時代に台北各地にあった中華料理店ではこの紅酒が非常に人気で、特に始めて台湾を訪問した日本人を迎えるためのお酒として清酒とあわせて紅白酒と呼び大いに消費されたそうです。また新しい家屋の落成などの祝い事にも紅酒が使われたそうです。

神戸大学のデータベースで1922年の台湾日日新聞のスクラップが読めます。当時の日本人が台湾の紅酒を愛していたことが分かる記事ですので抜粋してみます。

台湾の酒

其名も響の好い紅酒[あんちう]

滋養に富み経済的で年産実に二千万円


支那民族の間に酒に関した詩歌文集が数多くあるのを見ても分るが我台湾の酒とても却々発達したものがありそして言い合した様に滋養になる酒を製り出そうと しているのは一寸変っている、支那中興の昔から今日に及んでいると云う紅酒は代表的の台湾酒で計画中の専売案も紅酒を目当にと云うのである、内地から来る人の誰れでも案内される江山楼、春風得意楼、東薈芳なんどの台湾料理屋では先ず此の紅酒を勧められる、紅酒は其名の如く薄紅で何となく甘そうであるが一度 之を口に含めば恰もウヰスキーの如く又は鹿児島焼酎の如き味がする酒精分が可なり強いが何人でも飲ぶやすい、紅酒の醸造は至極簡単なもので一口に云えば清 酒醸造用の糯米を蒸し之に糀を交ぜて醗酵させ汁を搾り取って再製するもので夏は八箇月、其他の気候では一年以上を要する糯米は醗酵し易くそして滋養分の多 いもの程多く使われる。斯くて出来上がったのが紅酒で更に古くなったものが老紅酒となる老紅酒に滋養になる或る薬品を入れて製ったものが薬酒と称して営養 不良の者が飲むに適する又事実営養不良者の飲用の酒として製造するのだから面白い、恐らく百薬の長なんどは此辺から起ったものであろう普通広く飲用される のは老紅酒で一合十銭で非常に安くてしかも甘いと云うのだから飲まずにいられない訳である、紅酒と云えば今では左党の内地人で知らないものはない、知らない所が盛んに使用されている近頃では『黄菊』なんて内地風の粋な名前を附けて売捌かれている、年産二十万石であるが市場売買は普通斤を単位として売られ一石は三百斤、百斤三十円位と云うから二十万石の六千万斤、価格千八百万円の売上高に上る訳で素晴らしいものだ、紅酒醸造業者は二百箇所以上あり従業人員は 二千人以上に達する、小売は大概製造者の兼業になっているが紅酒丈けで生計を立てている台湾人は更に多数ある訳だ、台湾総督府研究所の化学的試験に依れば 紅酒は内地酒より遥かに良いと云うて居る、其理由は(一)滋養分を含んでいる、(二)経済的である此二点に或る其名も何となく心地よく響いてアンチュウ之 れほんとにおいしいお酒のようである、専売となれば更に品質が統一せられて優良なるものが醸造され内地に移出される事になるかも図られない内地の左党の諸 士は是非台湾に来られたならば先ず一杯を試みられん事を希望する
(ここまで、赤字筆者、参照URL http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00059186&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1)

記事は1922.1.23(大正11年)の台湾日日新報からです。台湾では1909年から紅酒の大型工場が作られて居ましたが、この年1922年から総督府による紅酒の専売が始まりました。専売となった直後のためメディアを通じて大いに売り出しを考えていたのでしょう。広告っぽい内容なのが面白いですね。

最近の紅酒はボトルのデザインも非常に凝ったものが多いので、贈答用だけでなくインテリアにもおすすめです。空港の免税店でも買えますが、台灣菸酒股份有限公司の工場、特に宜蘭の工場では色々な種類の紅酒を直売価格で購入できます。お酒好きなら観光の合間に足を運んで見ましょう。

100年前の日本人も魅了された台湾の紅酒、お土産にいかがですか?

※今回の料理では普通のワインを使います。 

木耳蒸雞│鶏肉と黒木耳の中華蒸し

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難易度:☆ 調理時間:30分以内
炊飯器で作る簡単蒸料理『木耳蒸雞│鶏肉と黒木耳の中華蒸し』のレシピを紹介します。鶏のダシをキクラゲが残さず吸い込むので、非常に濃厚なうま味を楽しめます。しかも切って混ぜてスイッチを入れるだけ、超簡単に作れます。

料理(食品科学)に明るい人ならご存知でしょうが、肉類は締めたての新鮮なものよりもある程度熟成させたものの方が旨みが増しておいしくなります。ところが台湾には考え方がまったく逆、肉は新鮮であればあるほどおいしいと考える人もいるのです。今回はそのメカニズムを簡単に紹介しましょう。

生物の筋肉はATPと呼ばれる物質を利用して収縮します。生体が死亡してATPの供給が絶えると、もう一つのエネルギー源であるグリコーゲンが分解され乳酸を生じ、pHが低下、筋肉の保水性が低下して収縮できなくなり硬化、いわゆる死後硬直という状態になります。

実は台湾ではこの死後硬直が起こっている新鮮な状態の肉が市場では主に売られています。明け方に締めて当日の早朝から市場に出回り、小売店などはこれを買って店頭に並べます。筋肉の中にあるミオグロビンが空気中の酸素と結合していないので肉は黒味がかっており、絶賛死後硬直中ですので肉質も硬いです。日本ではこの状態の肉はまず食べませんが、一体どういう味がするのでしょうか?ちなみに伝統的な寿司職人さんや和食料理人らはこの死後硬直が起きているくらい新鮮な魚肉こそ至高という考えを持つ人が多いです。

グリコーゲンは単独では無味無臭ですが、グルタミン酸などのうま味成分のうま味を強める作用があります。死後硬直中の肉を食べるとグリコーゲンが増強したグルタミン酸(など)のうま味を楽しめるというわけです。つまりグリコーゲン × 成体にそのまま残っているうま味成分(グルタミン酸など) = (一部の)台湾人が考えるおいしい肉です。ただし肉はカチカチですので、繊維を切ったり包丁を入れたりの加工が必要です。台湾の市場で出回っている鶏肉は関節を動かすことが出来ないくらいカチカチに死後硬直していることがあります。刺身でいう「身がプリプリしている」状態です。相当の包丁技巧がないとさばくことすら難しい状態といえます。

対して日本では通常締めた後の肉は0度で冷凍させずに数日(豚肉は一週間ほど)保存してから出荷します。この時肉の中で活性を保っている酵素により、筋肉などのタンパク質が分解され、グルタミン酸やイノシン酸などのうま味成分が増加します。これは微生物の発生を抑えつつ、うま味を増していく過程で日本のスーパーで売られている肉はほとんどが、熟成作業をへたものです。うま味の分解がピークで食べごろの肉を食べているというわけです。死後硬直は解除されているので肉は柔らかくなりますが筋肉本来の弾力が戻っているわけではなく、タンパク質が分解されて変質しているためなので指で押すとなかなかもとの形状に戻りません。また死後硬直で黒ずんでいた肉は空気中の酸素と筋肉中のミオグロビンが結合することにより赤くなり、見た目も美しくなります。うま味のピーク = 日本人が考えるおいしい肉というわけです。魚と獣肉でうま味への考え方がまったく違うのが日本人の面白いところですね。

うま味だけで考えると熟成させた肉の方が間違いなくおいしいのですが、新鮮な肉もグリコーゲンとうま味の相乗効果というこの組み合わせでしか味わえない味とプリプリの食感があるので、新鮮で硬い肉というのも一定の需要はありそうです。

理想的にはグリコーゲンの濃度を熟成させたうま味のピークまで保ちつつ食すことです。グリコーゲンの嫌気分解をする酵素の遺伝子を欠損させた豚…とか考えてしまいますが、生まれてすぐ死んじゃいそうですね…。ならば締める前にグリコーゲン分解酵素を不活性化する薬物を投与してから熟成…、これなら行けそうですがこの薬物が数時間ほどで死亡した生体内で分解できないとなると人間の口にもそのまま入ってきてしまうわけで…。そのためこの薬物には経口で吸収されないとか、熱で不活性化するとかの性質を持つ必要がありそうですが、数兆円規模の膨大な研究費用がかかりそうです。

…いわゆるハーブ牛などハーブを食べさせて育てた肉はおいしいといわれますが、これらハーブの成分にもしかするとグリコーゲン分解酵素を阻害する働きを持つものが隠れてたりして…、とか薬剤師みたいなことを考えてみたり…。もし見つかればそのハーブの需要が増すので、先物投資としゃれ込んでもいいかも…と経済学研究者みたいなことを考えてみたり…。

そうだ!!新鮮なレバー(グリコーゲンの宝庫)と一緒に食べればいいんじゃね?!

これで解決です。これなら台湾人も納得のおいしい肉をいつでも食べられそうです。

熟成させて焼いた肉を薄切りにした生レバーで包んで食べる…。新しい料理の誕生です!十分熟成させてから炙った刺身に牛レバーのペーストを混ぜたワサビを載せて寿司に…。これは新しい味覚の扉が開くかもしれません。誰か試してみませんか?

台湾の市場に行くことがあれば売られている肉を日本の肉と比べて見ましょう。台湾の肉が硬くてダメだという人は冷蔵庫のチルド室で牛肉なら10日ほど、豚肉なら5日ほど、鶏肉は半日から一日ほど置いておけば、われわれ日本人のよく知る柔らかくておいしいスーパーのお肉になります。冷凍してはダメですよ!

逆に台湾料理の完全再現を目指す方は、当日絞めたばかりの新鮮な肉を買ってきて使ってみましょう。

というわけで今回の料理とまったく関係ない記事でしたが、この料理は美味いです!ぜひお試しください。

梅滷鯉魚│コイの梅煮込み

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難易度:☆ 調理時間:30分以内
熱い夏にはスタミナ中華!コイを使った『梅滷鯉魚│コイの梅煮込み』のレシピを紹介します。もちろんコイ以外の魚でも作れます。

コイは学名を Cyprinus carpio といいます。中国では非常に古くから食用にされていた魚の一つで、観賞用としても非常に人気があり三国時代には養殖技術が確立していました。日本にも伝わって錦鯉を愛でる文化が伝わりますが、中国では唐代に一度コイの養殖、調理技術が断絶したことがあります。なぜだか分かりますか?

唐朝の国姓は「李」、コイは漢字で「鯉」、どちらも中国語ではli3と発音します(おそらく古代音もほぼ同じ)。中国の王朝は皇帝の姓と同じ漢字、似た発音の漢字の使用を禁止(もしくは自主的に回避)する制度があり、唐代に鯉は国姓と発音が同じであることを理由に「販売」も「漁獲」も禁止されました(但しこれには諸説あります)。それまで鯉の養殖で生計を立てていた者は大打撃、というか鯉の養殖技術はほとんどが失われてしまい、それまであった鯉料理もほとんどが名前を残すのみで調理法方が失われてしまいました。

中国では古くから盛んに養殖される青魚(アオウオ)、草魚(ソウギョ)、鰱魚(ハクレン、レンギョ)、鱅魚(コクレン)の四種を「四大家魚」と呼び多くの中華料理に用います。これらはすべてコイ科の魚なのですが、これら四種以上にポピュラーで古代から養殖もされている同じコイ科の鯉が四大家魚に入っていないのは唐代に一度養殖の伝統が途絶えてしまったからなのです。

また鯉の字は「利(li1)」と発音が似ているため、「漁翁得利(漁夫の利)」、「家家得利」などの言葉にかけて、吉祥のモチーフとして絵画などの図案に盛んに用いられます。また「鯉躍龍門」(または「鯉魚跳龍門」)(鯉の滝登り)の伝説はアジア圏で人気があり、特に男子の成長を祈願する様々な行事の由来となっています。日本でも「こいのぼり」が有名ですね。

コイは現代の日本人が余り口にすることがなくなりましたが、栄養たっぷり、きちんと泥抜きすれば非常に美味な魚です。夏ばてにも非常に効果があるので、ぜひ手に入れて調理してみましょう。





羊肉山椒湯│羊と山椒のスープ

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難易度:☆ 調理時間:30分以内
河南地方の家庭料理から『羊肉山椒湯│羊と山椒のスープ』のレシピを紹介します。羊肉の臭みを山椒で消した面白いスープ料理です。鼻に抜けるすがすがしい香りと滋養たっぷりのスープをどうぞ!

この料理で使うサンショウは中華料理、特に四川料理や貴州料理で多用する「花椒」の仲間です。サンショウは学名を Zanthoxylum piperitum 、花椒は正式和名をカホクザンショウ、学名を Z. bungeanum といいます。同じミカン科のサンショウ属の植物で果実の色以外の外観も良く似ていますが、香りや風味は大きく異なります。

正月元旦の飲み物としてよく知られている現代日本の「お屠蘇」にも山椒が配合されています。屠蘇は唐代の中国から伝わったそうでかなり古い歴史があります。中国でも明代辺りまでは飲まれていた記録が残っていますが、その後廃れて現在の中国ではまったく姿を消してしまいました。

中国でも地方や時代によりかなり処方内容が異なります。最も後期の明代の処方は《遵生八箋》によると"屠蘇酒:「屠蘇方:大黃十六銖、白朮十五銖、桔梗十五株、蜀椒十五銖、去目桂心十八銖、去皮烏頭六銖、去皮臍茇葜十二銖。」古人把一兩分為二十四銖。照這些分量按方配製、就成為屠蘇酒。"という記載があり、蜀椒(花椒)が入っています。同じ明代に書かれた《本草綱目》にも屠蘇酒の処方が載っているのですが、"「用赤木桂心七錢五分、防風一兩、菝葜五錢、蜀椒、桔梗、大黃五錢七分、烏頭二錢五分、赤小豆十四枚,以角絳囊盛之,除夜懸井底,元旦取出置酒中,煎數沸,舉家東向,從少至長,次第飲之。藥滓還投井中,歲飲此水,一世無病。」"と、こちらにも蜀椒(花椒)が使われています。

これ以前の処方には花椒が使われていないので、現在日本の屠蘇は明代の処方を参考にしたもののようです。もちろん上記をそのまま作るとそうとう薬効が高いので、日本で売られているものはずいぶん量を減らして作られています。

古い中国の習慣が本国では絶滅し、日本でだけ残されているなんでなんだか不思議ですね。

口水黄瓜│涎胡瓜

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難易度:☆ 調理時間:一瞬
『口水鶏』の技法で作る『口水黄瓜│涎胡瓜』のレシピを紹介します。ピリ辛、甘酸っぱいソースで胡瓜のうす切りを和えたサラダ風料理です。暑い夏にはこういう涼しげな料理がピッタリですね。

日本語のキュウリは中国語の「黃瓜」即ち「きうり」に由来します。古くはこの「きうり」に「木瓜」の字を当てたりもしましたが、今では中国語で「木瓜」はパパイヤを表します。

日本には平安時代以前から東南アジアから伝わった南方種と呼ばれる完熟させて食べるキュウリが栽培されていました。この系統の果実は完熟させると黄色になり、正に文字通りの「黄瓜」だったのです。シルクロード経由で伝わった水気の多い今風のキュウリが江戸時代に伝わってからも、古くからの習慣のまま完熟させて食べていたそうで、苦味が強く大した栄養もないと人々に毛嫌いされていたそうです。

キュウリは人々には人気のない野菜として江戸時代を通して不遇の時代を過ごしますが、幕末に味も歯ごたえも良い品種が開発されてから人気に火がつき、現在のように家庭料理に欠かせない野菜となりました。近代に入り各地で様々な品種が開発され、日本では実はほぼ県単位で異なる品種のキュウリが食べられています。興味のある方は引越しや旅行のたびに当地で食べられているキュウリと地元のキュウリを比べてみるのも面白いかもしれませんね。


台農一號、香水│台農(タイノン)一号、香水(シャンシュイ)

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台農一號、香水│台農(タイノン)一号、香水(シャンシュイ)

1969年に自然交配で生まれたものを選抜し、1985年に高雄鳳山熱帯園芸試験分所で命名された台湾生まれの品種。最大の特徴は極端に矮化された樹高と追熟が容易であること、このため採取が非常に簡単である。

ちなみに「台農一號」はこのマンゴーについての登録品種名であるが、台湾で生まれたブロッコリー、ビワ、パッションフルーツ、ライチ、モモなど多くの植物にも「台農一號」の名称を持つものがある。また他の品種に比べて香りが強いことから「香水」の別名があり、市場ではこちらの名前で呼ばれることが多い。また糖度の高いものは販売者によって「蜜芒果」と呼ばれることもある。

旬は5-7月。未成熟の果皮は薄緑だが、完熟すると「金煌」のような鮮やかな黄色になる。果肉は繊維質が少なく、種子も小さいため見た目の小ささに反して可食部は多い。

果実の重量は160g前後、大きさは長さ約10cm×幅約8cm×厚さ約7cm。糖度は14-25Brixと個体によって大きな差がある。酸度0.17%、糖酸比は平均115程度だが個体により大きな差がある。 炭素病にはかなり強い。

栽培面積は約200haで、生産量は少ない。

完熟したものは黄金色を呈し、その外観の美しさから贈答用にも人気がある。病害に強いため経済栽培に向いているとされ、台南地域の農協では栽培の奨励も行っているが、アーウィン種優勢の現状を打破するには到っていない。

台湾のスーパーでは約500元/kg。南部に行くほど安くなる。

まったく同時期に同じ高雄鳳山熱帯園芸試験分所にて品種登録された「台農二號」という品種もある。サイズは重量約300gで「台農一號」よりも若干大きく、外観の最大の違いはヘタ部分の突起である。糖度17.8Brix。種が大きく、結実率が低いので徐々に栽培量が減り、今ではほとんど見かけなくなった。

 外観は美しい黄色。小ぶりだが可食部は多い。
果実の先端まで均一な黄色になれば食べごろである。

果肉も鮮やかな黄色。


開陽白菜│白菜煮込み

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難易度:☆ 調理時間:30分以内
台湾の家庭では定番のおかずの一つ『開陽白菜│白菜煮込み』のレシピを紹介します。干しエビとニンニクで白菜を煮込んで作るうま味の強い料理で、レストランでも良く食べられます。

料理名にある「開陽」といは中華圏における干しエビの別名です。また干しエビは台湾では「蝦米」とも呼ばれます。

幕末に幕府がオランダから購入した軍船には「開陽丸」という名前が名付けられていました。1862年にオランダに発注、1867年に日本に到着し、翌年の戊辰戦争で沈没するまで活躍します。土方歳三はこれに乗って仙台から函館に向かったとか。船体は引き上げられ北海道江差町で資料館となっています。ご存知の通り戊辰戦争では薩長軍が勝利しますが、一般の兵士らは戦争に勝利したのはいいが碌な褒賞が与えられなかったため不満を溜め込みました。

1871年に琉球の漁師が台湾に漂着し54名が原住民に殺害されたことなどがきっかけで、1874年に日本は薩摩藩が台湾に勝手に出兵してしまいました。明治政府はこれを追認、これは不満を溜め込んでいた薩摩軍人のガス抜きの意味も強くあったようです。また、この事件によって琉球の日本への国際的帰属がほぼ決定的になりました。明治が始まって(1868年)からわずか7年、時代の潮流は周辺各国を巻き込み急転直下の展開を見せます。

また北斗七星は魁と柄の部分に分けられますが、柄の部分の三つの星の真ん中を中国語で「開陽」と呼びます。現代で言うおおぐま座のミザールという星です。ミザールは歴史上初めて見つかった連星で、すぐそばに暗いアルコルという星があります。中世はミザールとアルコルを見分けられるかどうかが視力のよさの指標とされました。ミザールとアルコルは数千年周期で影響を与え合っているといわれていますが、実際にお互いの重力が影響を及ぼしあっている真の連星であるかは未だに分かっていません。

晴れた夏の夜空を見上げて、古代人と同じように視力の検査としゃれ込むのも良いかもしれませんね。



果醬糖醋肉片│豚肉の中華風炒め

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難易度:☆ 調理時間:一瞬
暑い夏は甘酸っぱい料理で食欲を増しましょう。『果醬糖醋肉片│豚肉の中華風炒め』のレシピです。『酢豚』のような甘酸っぱい料理で、レシピでは果物とジャムを使って甘みと酸味を加えています。

日本の一部を襲う猛暑は台湾でもニュースになっています。人間は高温多湿の環境が長時間続くと体調を崩し、いわゆる「夏バテ」の状態になってしまいます。日本と高温多湿の気候が良く似ている台湾でも他人事ではなく、昔からどうやってこの夏バテを克服するかは中国医学の大きなテーマでした。

夏バテは基本的に自律神経の失調→胃腸機能の低下、もしくは自律神経の失調→発汗機能の異常の二つの原因によって起こります。大本である自律神経の失調は古くは水分摂取の不足、現代では室内外の温度差によって引き起こされることが多く、これを食事でどうにかしようというのが薬膳の考え方です。

人間の体とは不思議なもので、胃腸機能に異常があるときはそれを正すように味覚が変化します。汗をかくと自然と喉が渇くように、ほとんどすべての夏バテの人が「酸っぱいもの」を食べたがるようになるのです。若い人なら「炭酸飲料」が糖分も補給できてピッタリなのですが、炭酸飲料を目の敵にする方は「酢」を上手に使って料理を作りましょう。

また豚肉には糖質の代謝を助けるビタミンB1が豊富に含まれています。糖質、酸味、ビタミンB1、そして適度な野菜と、夏バテに理想的な今回の『果醬糖醋肉片│豚肉の中華風炒め』。ぜひお試しください。



土芒果、土檨仔│台湾野生マンゴー

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土芒果、土檨仔│台湾野生マンゴー

明嘉靖年間の1562年にオランダを通じてインドからジャワを経由してもたらされた。台湾では最も古いマンゴー。台湾の気候に適応、土着し、近代に到るまで自然繁殖してきた。

最初は台南六甲地区に植えられた一本の木であったといわれており、これになった実が周囲に広がり、後に栽培されるようになったといわれている。最初期は当地の原住民(平埔族)らによって消費されていた。台湾語で「土檨仔(トーソァィヤー)」と呼ばれ、これはもともとこの植物を指した原住民語が由来となっている。

野生のものは10mを超える株高になり、病虫害にも強く、樹命は100年を超える。その強健性を活かして台湾各地で街路樹としても用いられている。

1954年にアメリカからその他のマンゴーがもたらされるまで台湾ではほとんど唯一の食用マンゴーであり、古くから台湾の民衆に親しまれてきた。幼果は「情人果」と呼び砂糖漬けなどにして古来より料理の甘味、酸味付けとして用いられている。

17世紀に書かれた《台灣府志》第十八巻には"檨種自荷蘭、切片以啖、甘如蔗漿、而清芬遠過之。這種獨特風味我們都不陌生、那就是現在俗稱土檨仔"という記載が見られ、当時から庶民に愛されていたことがうかがえる。1719年には福建巡撫呂猶龍によって皇帝に献上され、その添書には"福建有番樣一種、產於臺灣、每於四月中旬成熟、奴才於四月卄八日購到新鮮者、味甘微覺帶酸、其蜜浸與鹽浸者俱不及本來滋味。切條曬乾者微存原味。奴才親加檢視、裝於小瓶、敬呈御覽"と記載されていた。文中にある「番樣」が現在でいう「情人果」の砂糖漬け、即ち土檨仔を指すといわれている。

「情人果」の砂糖漬けは清代に流行し、大陸部から台湾を訪れた文人らに「蓬萊醬」と呼ばれ、土産物として喜ばれた。光緒年代に台湾を訪れた、福建巡撫王凱泰は"高樹濃蔭盛暑天、出林檨子最新鮮。島人豔說蓬萊醬、誰是蓬萊籍裡仙。"という詩を詠んで土マンゴーの味を称えている。

旬は5-7月。果皮は薄緑で、熟してもほとんど色が変わらない。果肉は繊維質が多くやや硬い。

台湾では最も小さいマンゴーで、果実の重量は120g前後、大きさは長さ約8cm×幅約6cm×厚さ約5cm。近年品種改良が進み、若干大型のものも出回るが、それでも他の品種と比べて小さい。糖度は14.9Brix、酸度0.23%、糖酸比は64程度。美味であるが種が大きく、果皮も厚く、可食部が少ないのが最大の欠点である。

非常に強健で栽培管理をほとんど必要としない。

在来種の栽培面積は約7,000ha。全マンゴー栽培面積の約30%を占めている。

古来から台湾人に愛されてきた品種で一定の需要があり、小規模ながら確実な栽培が続いている。近年在来種とほとんど区別がつかない改良品種が続々開発されており、糖度を高めたもの、流通機関を長くしたもの、香りを高めたものなど様々な試作品が毎年一定数市場で流通している。最も古く最も新しいマンゴーといえよう。

台湾のスーパーでは一個30-50元(約400元/kg)。南部では野生のものもあり、実がなっていればいつでも食べられる。

もともとオランダからもたらされたマンゴーは当時「柴檨仔」と呼ばれた土マンゴーの他に5種類、「香檨仔」、「肉檨仔」、 「牛犀檨仔」、「柿果檨仔」、「花蓮檨仔」があった。これら5種類も現存するが、好事家に趣味で栽培されている程度で、商業栽培はされていない。以下にこれ らの品種の特徴を簡単に紹介する。

「香檨仔」はオランダからもたらされた6種のうち最も品質に優れ、熟した果実は優れた香りを持つためこの名前で呼ばれる。しかし蠅害を受けやすく、また熟成時にヘタ腐病にかかりやすいという特徴があり、経済栽培に適さない。果実の重量は約270g、糖度12.8Brix、酸度0.12%。毎年極少量が市場に出回るというが、消費者にも人気が高く生産地以外で入手することは至難の業である。

「肉檨仔」は土マンゴーよりも小形の種で、果皮が熱く、種子が大きいので、可食部が少なく栽培価値はほとんどない。病虫害に非常に強いという特徴があるので、交雑や接木の材料として用いられることがある。果実の重量は約100g、糖度18.4Brix、酸度0.85%。

「牛犀檨仔」は果実が大型になる種で、果肉は牛臭い独特の香りがあることからこのように呼ばれる。蠅害を受けやすく果実を樹上で熟成させることができないため、未成熟のまま採取して保管する必要があるという。果肉は傷つきやすく輸送に適さないため現在ではほとんど栽培されることがない。

「柿果檨仔」は「柿果香」とも呼ばれ、特殊な香りがあり品質も非常に優れているため存在を知る消費者には絶大な人気がある。極少量が趣味レベルで栽培されているに過ぎないが、その果実が市場に出回ることはまずない。

果皮は薄緑色、熟したかどうかは指で触れて確認する。

写真のものはやや未熟、完全に熟すと果肉はもう少し濃い色になる。






萬壽羹│湖北風万寿スープ

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難易度: 調理時間:3時間
今回は湖北の伝統料理から。すばらしい名前の『萬壽羹│湖北風万寿スープ』という料理のレシピを紹介します。万寿、即ち鶴と亀を材料(のモチーフ?)にして作る吉祥の料理です。もちろん現代では鶴肉は世界中どこを探してもまず手に入らないので鶏肉で代用します。亀肉はスッポン肉が手に入りやすいので、日本でも再現可能です。お年寄りの誕生パーティーなどで作ってみてはいかがでしょうか?

この料理は『鶴龜延年湯』、『萬壽吉祥羹』などとも呼ばれます。

湖北料理は別名を鄂(e4)菜といい、そのまま湖北省の料理を指します。実は中華料理には良く知られた八大菜系とは別に十大菜系と呼ばれる分類もあり、湖北料理はこの十大菜系の一つに数えられています。湖北料理の下位分類には武漢菜、荊沙菜、黃州菜、襄鄖菜があり、春秋戦国時代にあった「楚」の王宮料理を受け継いでいることに特徴があります。

日本ではほとんど食べられない中華料理なので、湖北料理の名前を知っている人は稀でしょう。しかし現在杭州名物として知られる『東坡肉』は、もともと湖北料理として生まれたのはご存知でしょうか?

一般的には浙江料理の名物とされる『東坡肉』ですが、実はこの料理、もともとは湖北の黄州で生まれた『紅燒肉』という料理が元になっています。『東坡肉』を生み出した蘇軾は最初に左遷された先の黄州で名物の豚肉を醤油で煮込んだ『紅燒肉』という煮込み料理を考案しました。その後更に左遷された先の杭州で住民らから送られた豚肉と紹興酒で作った『紅燒肉』が後に『東坡肉』と呼ばれるようになり現在に伝わりました。もともとの湖北の『紅燒肉』も今では『(湖北)東坡肉』と呼ばれて湖北料理の店で食べることができます。

湖北料理は特に水産物の加工に定評があり、古い時代の宮廷料理の風格を残していることから、宴席料理として根強い人気があります。残念ながら台湾には一軒も湖北料理のレストランがないため、筆者も自分で作ったものしか食べたことがありません…。湖北料理は大体パーティー向けで、多人数で食べるのに向いているので、再現時はぜひ皆で集まってご賞味ください。



過油肉│晋風回鍋肉

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難易度: 調理時間:半日
山西料理を代表する名菜『過油肉│晋風回鍋肉』のレシピを紹介します。焼肉とはいえ結構な手間隙がかかるので、しっかりと手順を追いながら調理してください。山西料理の代名詞とも言える名物料理です。

この料理の属する山西料理は山東料理の派生菜系といわれ、晋菜とも呼ばれます。現在の山西省は「中国文明」発祥の地とされ、その歴史は5000年以上遡れます。この地域に残る料理には数千年の歴史を持つものが少なくなく、それらはその他の地域に伝わって各地域の料理に大きな影響を与えました。その後この地域の料理は晋商と呼ばれた塩商人らによって牽引、発展してきました。晋商は安徽省を中心とした徽商(茶葉の交易)と広東省の潮商(在外華僑の中心)とあわせて「三大商幫」と呼ばれ、古代から近代まで中国全土で絶大な権力を誇りました。国共内戦時にどれも見る影もなく落ちぶれてしまいましたが…。

今回紹介する『過油肉』は晋菜といえば真っ先にこの料理が挙がるほど著名な料理で、まさに晋菜の代名詞。もともとは山西地域の豪族らに食べられていた料理が本になっているそうですが、この地域に集った商人らに愛され、彼らにより様々な地域に伝えられました。レシピが伝わる過程で調理方法に多くの改善が加えられ、様々な派生料理を生み出した料理でもあります。鶏むね肉を使った『紅白過油肉』や、ナマコを使った『海參過油肉』、豚の腎臓を加えた『過油肉加腰花』などが有名で、山西省周辺ではその他様々な派生料理が食べられます。遠くは上海、新彊辺りまで類似の料理が伝わっており、それらの地域では『走油肉』などとも呼ばれます。

現地ではお酒のおつまみの定番とされ、とくに黄酒との相性が良いといわれています。日本で言うなら米焼酎でしょうか?この料理の再現に挑戦される方は、おいしいお酒を準備してから調理してみましょう。


詩禮銀杏│孔府風ギンナンの砂糖煮込み

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難易度:☆ 調理時間:1時間以内
前回作った『桂花醤』で香りをつける山東の高級料理『詩禮銀杏│孔府風ギンナンの砂糖煮込み』のレシピを紹介します。たった5種類の材料と調味料だけで作るシンプルな料理ですが、繊細な技法が生かされた高級料理です。日本ではなかなか食べられないので、ぜひ再現に挑戦してみてください。

山東地方は儒教の始祖である孔子の出身地として有名です。孔子は中国の影響を受けたほとんどすべての地域で知らない人はいないほどの著名人です。

もともと山東省には「孔府」と呼ばれる孔子の一族が住む家屋と土地が連綿と受け継がれています。孔子の一族が古代から伝えている料理は山東料理の中でも特に孔府菜と呼ばれ、数ある中華料理の中でも古代から世襲で伝わる理として異彩を放っています。ほとんどの料理に孔子や儒教にまつわる物語が添えられているのも特徴です。

現在も山東省に残る「孔府」は1994年に家屋が世界遺産に登録されているので、ご存知の方も多いかもしれません。孔子の一族は古く は始皇帝の時代に孔子の第9代嫡孫が魯國文通君に封じられて以降、王朝が変わっても色々な爵位を与えられてきました。もちろん世襲です。古くは爵位の名前 も色々でしたが、宋代に「衍聖公」という爵位を得てからは、近代までずっと、例え王朝が変わってもこの爵位は受け継がれてきました。儒教が国教とされてから孔府は王朝の手厚い保護を受け、時代を問わず常に中国最大の農地を持つ最大の貴族領として栄えました。

この料理は《孔府案》という書物に記載されている孔子の言葉、孔子がその弟子孔鯉に詩と礼を教えている時の言葉、"不學詩、无以言。不學禮、无以立"に由来します。この言葉を元に孔子の子孫は「詩礼世家」を自称することにもなります。孔子から数えて53代目の子孫孔治が先祖に敬意を示し、孔府に「詩禮堂」という建物を建てることになり、その門前には一対の巨大なギンナンの木が植えられました。このギンナンは毎年多くの実を付け、その実は毎年の孔府の宴に用いられたそうです。今回のレシピはそのギンナンを使った孔府の名菜から。

さて、孔子の直系が受け継いできた「衍聖公」の爵位は、中華民国が成立したつい近代まで存在していました。2008年に逝去した77代孔徳成が最後の「衍聖公」を持つその人です。

孔子の直系は第77代孔徳成から台湾に移住し、現在も台湾に在住しています。ご存知でしたか?中華民国では古代から世襲されてきた「衍聖公」の爵位が廃止されてしまいましたが、中華民国は"唯一の"世襲官職である「大成至聖先師奉祀官」という職位を新たに作り、孔子の子孫に受け継がせています。初代孔徳成は台湾大学の名誉教授であり、考試院の院長などを歴任、二代目孔垂長氏(第79代)は総督府の国策顧問を務め、台北孔子廟の祭祀を取り仕切るなど、孔子の血脈は今でも台湾の国家運営に少なからず影響を与えています。

現在最年少の孔子直系は2006年に生まれた直系第80代の孔裕仁氏。ギネスにも認められた「世界で最も長い血統図」の中央最下部に位置する正真正銘の孔子の嫡孫です。現在は新北市の小学校に通う普通の小学生。高貴な血筋とはいえ台湾で普通に暮らしているので、運がよければ孔子廟の祭祀でばったりなんてこともあるかも知れません。


桂花醬│キンモクセイジャム

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2016年7月21日 記事を更新しました。

難易度:☆ 調理時間:1時間以内
様々な中華料理で応用が可能な『桂花醬│キンモクセイジャム』のレシピを紹介します。その名の通りキンモクセイの花をジャムにしたものでとても良い香りがします。中華料理だけでなく様々な西洋菓子や飲料の香り付けにも使えますので、ぜひお手元に作り置きしておきましょう。

いわゆるキンモクセイは、モクセイ(ギンモクセイ、Osmanthus fragrans)の変種で学名を Osmanthus fragrans var. aurantiacus と言います。あくまでギンモクセイの変種なので独立した種ではないことを覚えておきましょう。キンモクセイは中国語では一般的に「桂花」と呼ばれますが、こちらも正確にはモクセイ(ギンモクセイ)の仲間を総称した呼び方です。キンモクセイの中国語は植物学的には「丹桂」と呼ぶのが正しいので注意しましょう。 また乾燥させたキンモクセイの花も「桂花」といい、古くは痰切りや歯痛の薬として用いました。現在も様々な料理の香り付けに用いられます。

中国南部、台湾、インド、東南アジアに自生する植物で、日本には江戸時代にもたらされました。江戸時代からすでに厠の側に植えて悪臭を消すのに使われていたそうです。その後、近代に入って香りの成分が化学合成されるようになり、芳香剤としてこれまたトイレの消臭に使われることとなりました。キンモクセイといえばトイレを連想してしまう人も多いことでしょう。そのため日本ではなかなか食品の香りとして定着するのが難しいようです。

実際のキンモクセイは鼻に残るしっかりした清涼感のある香りで、淡白な料理に彩を添えてくれます。通販でも購入できますが、自作も簡単です。

もちろん明日はこの『桂花醬』を使った絶品中華料理を紹介したいと思います。



芙蓉干貝│芙蓉貝柱

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難易度: 調理時間:3時間
山東料理の名菜『芙蓉干貝│芙蓉貝柱』のレシピを紹介します。貝柱を中華スープを溶かした牛乳と卵白で閉じ込めた茶碗蒸し風の料理です。中華料理では珍しい牛乳を使って作る非常に美しい料理です。

ここのところ立て続けに山東料理のレシピを紹介していますが、理由はもちろん筆者がはまっているからです(笑)。

山東料理のある山東半島は短期間ですが日本が統治していたことがあるので、日本人にまつわるエピソードもたくさん残っています。一つ面白いエピソードを紹介しましょう。

中国にはそれぞれの菜系ごとに初級、中級、高級、技師、高級技師などの料理資格制度があります。下位の資格は専門学校に行けば取れるような簡単なものですが、各菜系で最高級のものになると中国全土で10人いるかいないかという非常に狭き門で、調理の腕だけでなく中華料理への貢献度合いなども勘案して授与される名誉な称号となっています。日本を訪問している中華の料理人が「特級○○師」などと紹介されるアレです。

さて、山東料理にもこういった資格称号制度があるのですが、日本人でありながら山東料理の最高資格である「中国鲁菜烹特級大師」の称号を持つ人がいます。

佐藤孟江という女性がその人です。今はもう閉店してしまったそうですが東京四谷の「濟南賓館」というレストランを経営していました。かの穣ッ派1925年に山東省濟南市に生まれ、当時の有名なレストラン「泰豐樓」にて夫である佐藤浩六と共に山東料理の厳しい修業を積みました。日本に引き上げてからも"正統な"山東料理の技法を伝える数少ない料理人として活躍し、文化大革命により山東料理の技法が途絶えそうになった後は、中国本土に戻って自信の技法を教授するなど活躍しました。 2004年、79歳になった彼女に山東省は「中国鲁菜烹特級大師」の称号を授与し、その功績を称えました。日本で山東料理といえば真っ先に彼女の名前(とレストラン)が挙がるほどのその道では偉大な方です。

詳しくは以下の本を参考にしてください。



(上の本は中国語の翻訳版もあり、山東電子音像出版社から《鲁菜情縁》のタイトルで出版されています。)

それではレシピです。

写真ではうす切りのゴーヤを飾っています。
他にも銀杏などを添えることもあります。


文思豆腐│文思豆腐

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難易度: 調理時間:30分以内
蘇菜は淮陽料理のさらに下位分類の一つ、楊州料理の名菜『文思豆腐│文思豆腐』 のレシピを紹介します。髪の毛の細さともいわれる細さに千切りにした豆腐を中華スープで煮ただけの料理なのですがただでさえ柔らかい絹ごし豆腐を限界まで細く千切りにするには相当の包丁技巧が必要です。自身の限界に挑むつもりで挑戦してみてください。

料理名にある「文思」とはこの料理を開発した僧の名前です。今を遡ること300年ほど前、清乾隆年間に揚州に住む文思和尚という僧がこの料理を開発しました。もともとはシイタケでダシを取って作る素食の一つで、皇帝の食卓に上ったこともあるとか。この料理では片栗粉などでとろみをつけないのですが、豆腐の糸がスープと絡んでなんとも絶妙なフワフワとした食感を楽しめます。非常にシンプルな料理ですが、一度食べると忘れられない体験となることでしょう。

またこの料理には豆腐の他に1-2種類の野菜を同じように極細の千切りにして加えます。ダイコンやタケノコなどの色の薄い野菜を使うと、一見豆腐しか入っていないように見えて、口の中で少しだけ舌に触れる豆腐以外の「何か」 を感じることができます。すばらしいアイディアです。

台湾でも蘇州料理の店で食べられるので、未経験の方はぜひ旅行時に食べてみてください。めちゃくちゃおいしいですよ!


麻辣臭豆腐│激辛臭豆腐

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難易度:☆ 調理時間:1時間以内
臭い料理台湾代表『臭豆腐』を使った『麻辣臭豆腐│激辛臭豆腐』のレシピを紹介します。メイン食材の『臭豆腐』が日本ではおそらく手に入らないので、本格的に作るには『臭豆腐』から自作することになります。普通の豆腐を使って作ってもおいしいので、日本の豆腐で作りましょう。

難易度は高いですが…『臭豆腐』の作り方はこちら。

 『臭豆腐』はもともと清代に安徽省で生まれ、湖南省の名物となり、戦後台湾に伝わりました。ダシと辛味の効いたスープで煮込んだ『麻辣臭豆腐』は、台湾各地の夜市の看板料理となっています。

旅行者が最初に食べるにはちょっと勇気がいりますが、はまる人はとことんはまってしまいます。

最近の研究によって豆腐が発酵する過程で大量のビタミンB12が生成される事が分かりました。臭豆腐には普通の豆腐に比べて大量のビタミンB12が含まれます。ご存知ビタミンB12は眼精疲労や末梢神経障害、貧血の治療薬としても使われています。臭豆腐を食べる人はこういった症状の予防ができているのではないでしょうか?

健康食としても今後注目されていきそうですね。


雞腳凍│鶏爪煮込み

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難易度:☆ 調理時間:1時間以内
台中の名物料理『雞腳凍│鶏爪煮込み』のレシピを紹介します。鶏の爪先を濃い目のスープで煮込だ料理です。見た目はちょっとグロテスクですが、一度食べ始めると満腹になるまで止まらなくなってしまいます。

この料理を名物にする台中市は台湾中部の都市で、2010年にもともとの台中市と台中県が合併して生まれました。人口では台湾第三位、面積では台湾第二位の大都市です。面積の半分は現台中市の東半分である和平区("超"田舎)が占めていますが(笑)。台湾名物のお土産として名高い『パイナップルケーキ』が生まれたのもここ台中、あとビビアンスーの出身地でもありますね(笑)。

近年急激に近代化改修が進んでいる都市で、市内各所では台湾を代表するモダンデザインの建築物が立ち並びます。台北や台南、高雄に比べるとどうしても観光資源には乏しい印象がありますが、逢甲夜市など賑やかなエリアも盛りだくさん、何より台北から日帰りでもいける距離ですので、台湾に馴れてきたら訪れてみましょう。

そんな台中を代表する名物料理の『雞脚凍』は、いわゆる『滷味』の一種です。スープの香辛料と濃厚な鶏のうま味が渾然一体となり、コラーゲンたっぷりプルプルの爪先肉にしみこんだ絶品料理です。一度食べ始めると本当に手が止まらなくなるので、購入する時は「さすがに食べきれないかな…」という量の"倍"は買って帰ることをお勧めします(笑)。自宅で再現する時も、多めに作って冷凍して置きましょう。



雞排│台湾風鶏から揚げ

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難易度:☆ 調理時間:30分以内
台湾旅行定番の軽食といえばこちら。丸々一枚の鶏むね肉を揚げた『雞排│台湾風鶏から揚げ』のレシピを紹介します。外はサックリ、中はジューシィ、食べ歩きのお供に最適な台湾風から揚げ料理、新聞紙で包んで歩きながら食べたいですね。

今でこそ当たり前に食べられる『唐揚げ』ですが、揚げ物の技法が日本に伝わったのは一説によると江戸時代、割と最近になってからだといわれています。奈良平安時代の宮廷では食材に米粉をまぶして揚げたてんぷらのような料理があったそうですが詳細が分かっていません。織田信長が楽市楽座を作るまで、日本では油が"超"貴重品でした。おそらく中国からの渡来人が宮廷で揚げ物料理を提供していた程度で、庶民はおろか貴族でさえ油を料理に使うなどという発想はなかったものと考えられます。唯一例外的に西洋と交易のあった長崎では南蛮から『フリッター』がもたらされ、15世紀には交易を行っていた一部の商人らのあいだで『てんぷら』のような料理が食べられていたことが分かっています。

さて、庶民らに揚げ物料理が広がるのは1654年に福建省から禅僧隠元隆琦が渡来してから。隠元によりインゲン豆、スイカ、レンコンなどが日本にもたらされましたが、その時に中国の「素菜」が日本にもたらされました。この「素菜」は当時の日本で大変人気を博し、隠元が京都で開いた萬福寺を中心に大流行したそうです。中国から伝わった「素菜」はのちに僧が檀家の人らと一緒に食卓を囲んで教義するときに供される料理として形式化して「普茶料理」と呼ばれ、和食の一分野として発達していきます。長崎に伝わっていた『てんぷら』のような料理も関西に伝わり、それぞれ融合、進化していきました。

隠元が伝えた「素菜」の中に広東省や福建省など中国南部で現在もひろく食べられていうる『油糍│揚げ団子』という料理がありました。米粉で作った生地に餡を包んで"揚げて"食べるという料理で、ものめずらしさもあって流行しました。当時の揚げ物料理はお寺を中心に広まっていったと考えられますが、お寺の料理番たちはほとんどあらゆる素材を油で揚げて調理してみたことでしょう。そして1772年、《普茶料理抄》という料理本に、豆腐を揚げて醤油で煮込んだ『唐揚』という料理が登場します。今の唐揚げとは味も形も違います。長崎から関西を伝わって江戸に伝わった『てんぷら』は肉や野菜を揚げたものが庶民に受け、江戸三味(蕎麦、寿司、てんぷら)の一つに数えられることになりました。
『唐揚』はお寺を中心に広がった「素食」が元になっているので、まだまだ肉を揚げたものが登場しません。てんぷらの方が常に一歩先行く展開ですね。

 ぐっと時代は下がって明治期以降。やっと肉や魚を揚げた『唐揚』、『空揚』が登場します。伝来から200年、長い道のりでしたがやっと現在の我々が食べている『から揚げ』が登場するのです。

台湾の揚げ物はもちろん隠元が伝えた福建料理がベースになっていますが、今回紹介する『雞排』は日本の『から揚げ』の影響を大きく受けた庶民的なものです。日本に伝わって進化した唐揚げを再び取り入れて応用した台湾の『雞排』をぜひ日本でもお楽しみください。




糝│山東粥

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難易度:☆ 調理時間:3時間
山東の伝統料理、古い歴史を持つ『糝│山東粥』のレシピを紹介します。レシピでは鶏肉で作っていますが、牛、豚、羊、はたまた鹿、イノシシ、キジ、馬など何の動物の肉でも作れる肉粥料理です。

料理を表す漢字「糝」は数通りの読みがあり、それぞれ意味が異なります。料理とも深く関係があるので、まずはこちらを簡単にまとめます。

一つ目は糝(糁)[Sa2]、これは山東方言での発音で今回の料理は正しくはこの読み方で読みます。元々は煮込んで火を通した穀物の意味ですが、非常に古くから料理名として書物に登場します。古代中国の礼法を記録した《禮記・內則》にも"糝:取牛羊豕之肉、三如一小切之、與稻米;稻米二肉一、合以為餌煎之。"という風に記載があります。同時代の他の古書にも登場するのですが、どれも作り方は現在とほとんど同じです。これが今回紹介する『糝│山東粥』のレシピの元となっています。

二つ目は糝[Shen1]、こちらは普通話の発音で、穀物を粉にしたものの意味です。玉米糝(トウモロコシの粉)のように使います。

三つ目は「San3」、普通話で米粒の意味です。実はこの料理、歴史的にも山東省辺りが発祥とされ、正式な名称は一つ目の[Sa2]の音が正しく、現地でもこの料理を[Sa2]と呼ぶびます。ですが[Sa2]の音は山東省の方言音とされており、普通話の辞書にも[Sa2]の音が載っていません。というわけで山東省以外の地域ではこの料理を「San3」の発音で『糝湯』と呼びます。普通話の範疇ではこちらも間違いではないのですが、本場山東省ではまず通じないのでご注意ください。台湾語で発音しないと通じない『蚵仔煎』見たいなものですね。ただ…山東省以外で食べられる『糝湯』は山東省の『糝』とは少しだけ作り方が違うのでご注意ください。

ちなみにこの料理、中国では2500年ほど前から食べられていたことが分かっていますが、更に歴史を遡ると古代アラブ地方からもたらされたことが分かっています。非常に古い歴史がありながら現在のものとほとんど形が変わらないという珍しい中華料理の一つです。 まさに生きた化石!(の中華料理版)。シルクロードに思いを馳せながらお楽しみください。


桶仔米糕│台湾風五目蒸し飯

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難易度: 調理時間:1時間以内
昨日に引き続きちょっとだけ珍しい台湾伝統料理を続けます。本日は『桶仔米糕│台湾風五目蒸し飯』のレシピです。古くは竹筒、今は縦長のステンレス容器に具と米を詰めて蒸して作るご飯料理です。家庭で再現するなら大き目の茶わんか紙コップを使って作りましょう。

『桶仔米糕』は『筒仔米糕』とも呼ばれます。

台湾の伝統料理ですが、もともとは北宋の時代に江南地域で食べられていた『盤游飯』という料理が元になっているそうです。当初の『盤游飯』は干しシイタケと豚肉、醤油だけで作るシンプルなものでしたが稲作技術の伝播と共に中国南部に広がっていき、台湾には明末の移民が伝えたといわれます。醤油を使った濃い目の味付けが労働で汗をかく南部地域の人々に受けたのでしょう。

最も古い出典は北宋の時代、四川省出身の蘇軾によって書かれた《仇池筆記》。第二巻の24節に記載がありますので、抜き出して見ましょう。同時に紹介されている『谷董羹』という料理にも注目です。

盤游飯谷董羹
江南人好作盤游飯,鮮脯鱠炙無不有、埋在飯中、里諺曰「掘得窖子」。羅浮穎老取凡飲食雜烹之、名谷董羹。詩人陸道士出一聯云:「投醪谷董羹鍋内、掘窖盤游飯碗中。」

谷董羹』はイネ科の植物を穂の状態のまま他の材料と煮て作ったスープで、非常に素朴で貧しい料理です。最後の「投醪谷董羹鍋内、掘窖盤游飯碗中。」にある「投醪」とは少ない食料を皆で分け合って食べるさま、もともとは少量の酒を川に流しその川の水を皆で飲むという非常に貧しい様を表す意味です。「掘窖」は埋めて蔵す、けして表に出さないという意味です。お分かりですか?

つまり最後の一説は「生活の苦しみは『谷董羹』で示し、豚肉は『盤游飯』の中に埋めて一人で食べる」 というようなちょっとせこい意味になります。いつの時代の人間もこのくらいならかわいいものですね(笑)。


『盤游飯』は伝播の過程で各地の食材を取り入れながら発展してきました。しかしあくまで庶民料理というスタイルは崩れることなく、(オリジナルと比較すればかなり豪華にはなりましたが)家庭の味を濃縮したやさしい味わいが特徴の料理です。

もともとの『盤游飯』は陶器の器で作っていたそうですが、農民らによって伝わる過程でより手に入りやすい竹筒が使用されるようになり、名前が『桶仔飯』などと変わりました。現代では更に作りやすさが追及され、ステンレスの器や紙コップを容器に使って作られます。

というわけでそんな『盤游飯』が台湾まで伝わった『桶仔米糕』。日本でもぜひお試しください。


蘭陽卜肉│蘭陽豚天

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難易度:☆ 調理時間:30分以内
宜蘭は蘭陽地方の夜市で作られた台湾生まれの伝統料理『蘭陽卜肉│蘭陽豚天』のレシピを紹介します。サックリした生地で調味料に漬けた豚肉を揚げて作るてんぷら料理です。

台湾東部、宜蘭から蘇澳(この辺り一帯の平原を蘭陽平原と呼びます)辺りに行くと、出店や夜市で『卜肉(Bu3 rou4)』の字を見ることができます。台湾でもほとんどこの地域でしか食べられない伝統料理で、休日はこの料理を求めてやってきた観光客らが列を作ることも。今でこそ台湾人の誰もが知る有名な料理となりましたが、その開発には涙ながらに語れない物語があったようです。

この料理が生まれたのは今から80年ほど前。初代社長吳秀は羅東(宜蘭の南部)の地に小料理屋を構えました。日本統治時代のこの地域は非常に貧しく、気軽にお酒を飲めるのはこの地に赴任してきている日本人ばかり。お店の経営は日本人客頼りになってしまいます。

吳秀の長男は南洋戦線で戦死し、店内には息子の遺影が飾られていました。それからしばらくしてこの店をある日本人料理人が客として訪れました。彼は店内に飾られている遺影を見つけ、「日本帝国のために戦死した台湾人」の話を聞きました。料理人は痛く感激し、自身のもつ日本料理の技法を店主に教えることにしました。

そして日本料理、特にてんぷらの技法を学んだ吳秀は当時の台湾でも安く手に入った豚肉を使ったてんぷらを開発しました。当時台湾では揚げ肉を「爆肉」と表記していましたが、新メニューは台湾語で「爆肉」を意味する『卜肉』と名付けられそのまま現在に伝わっています。

日本統治時代が終わってからは、当時の日本料理店で食べた『てんぷら』を懐かしむ台湾人がこの店に押し寄せて大忙しに。吳秀は友人らを雇って人員不足を解消し商売を続けました。

現在四代目の黃師民氏が経営する本家『卜肉』店は、先代黃淮德の時代に多くのメディアに特集され、忙しさはうなぎのぼりに。先代の時代にメニューを整理し、『卜肉』一本で経営していくことに決めました。また先代は『卜肉』の改良にも取り組みました。もともとさいの目に切った豚肉を揚げて作っていましたが、食感を増すため細長く切った豚肉を使うように改良したのも先代です。

多くの料理人が『卜肉』の技術を学ぶため経営者に交渉を行ってきましたが、黃師民氏は常にこれを断っています。非常に保守的な日本式教育を受けた初代の教えを守り、「家族だけで一店舗を経営するべし」という家訓を守り続けるためということです。いわゆるコカコーラ式の経営です。

さすがに人気店を80年近く続けると、味も外見もほとんど見分けが付かないくらいの模倣料理を同じ名前で提供する店が出てきました。料理名も調理法を示しただけなので商標として登録することも出来ず、現在宜蘭地域には多くの『卜肉』店が林立しています。まぁ、こればっかりは仕方ないですね。



蔥爆牛肉│山東風牛ネギ炒め

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難易度:☆ 調理時間:30分以内
山東料理続きます。今回は山東風の『蔥爆牛肉│山東風牛ネギ炒め』のレシピを紹介します。以前紹介した四川風とは違い、オイスターソースや醤油を使った濃厚な味付けになっています。白ご飯のお供に最適です。

日本に住んでいると中国各省の地理について勉強することはほとんどありません。料理ブログとしての主旨とは外れてしまいますが(いや、脱線してばかりですけど…)、今回は山東省の地理について簡単に見てみたいと思います。と言っても京杭大運河の話です。

山東省の中部を貫くのはご存知「黄河」、この黄河を南北に縦断するように隋の時代に作られた「京杭大運河」が延びています。今ほど交通が発達していなかった時代、あれほど巨大な平野を持つ中国がなかなか戦国時代を抜け出せなかったのには巨大河川という大きな理由がありました。

中国三大河川と呼ばれる黄河、長江、淮水とその支流は平地を分断し、往来と物流を難しくしていました。行軍のように数万人単位で人を移動させるとなると、まずどうやって河を超えるかという大きな問題があり、これが中国の統一を長きに渡って遅らせていたのです。

これを解決しようとしたのが隋の初代皇帝である文帝と二代皇帝煬帝です。まず文帝が587年に長江と淮水を繋げ、煬帝がまず黄河と淮水を結ぶ部分を建設、さらに黄河から天津までの北側半分を連結し、610年に全運河が完成しました。なんと全長2500km、直線距離にすると東京から北京や台湾の南端辺りまで届いてしまう距離です。

もちろん招集された労働力も半端なものではありません。隋の時代の戸籍登録人口は約4600万人と言われています(もちろん戸籍登録されていない人がこの数倍はいたでしょう)が、この運河の開通に100万人以上の労働力が投入されました。 運河に沿った地域では女性ですら労働に借り出されたといわれています。既存の小河川をところどころ利用したとはいえ、相当の重労働であったことでしょう。この過酷な労役により各地の住民は建設が完了した後も、隋王室に強い恨みを抱いてしまうことになるのです。唐王朝はこの住民らの不満を上手く利用して、隋打倒を成功させることとなります。

運河開通後の中国ではまず流通が、そして経済、文化が一変しました。次から次へと新しい技術や芸術、商品、アイディアが各地へ飛び込んでくるのです。運河は中華全土のあらゆる分野で計り知れない恩恵を与えました。隋の次代の唐王朝は特に運河によって得られるあらゆる恩恵を一挙に甘受しました。中国歴史上最高といわれる文化を発達させていくのです。隋もそうですが、運河により社会が一変するほどの利益が生まれ始めた中国では、海外からの留学生を招き、自国の文化を周辺諸国へと伝え始めました。日本からも多くの遣隋使、遣唐使が派遣され、今の日本文化の礎となる唐の文化を日本へ持ち帰りました。東アジアの歴史を変えたといわれる隋の大運河、世界遺産候補にも登録されているので近いうちに更に有名になるかもしれません。

山東省を南北に縦断する運河の恩恵はもちろん料理にも計り知れない影響を与えました。山東省は東西南北の海山の幸をあらゆる技巧をこらして作り上げることに特徴があります。その一端をぜひお楽しみください。



蚵仔煎│オーアーチェン

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難易度:☆ 調理時間:30分以内
台湾屋台の軽食といえばこちら!『蚵仔煎│オーアーチェン』のレシピを紹介します。『カキオムレツ』などと呼ばれることもありますが、オムレツというよりはお好み焼きに近い料理です。台湾を代表する料理の一つで、材料さえ揃えば日本でも作れます。

この『蚵仔煎』は台湾独特の料理だと思っている方も多いですが、もともとは福建省閩南地区生まれの福建料理の一つです。台湾以外にも発祥の地である福建省閩南地区と広東省潮州地区、そしてこれらの地域出身の華僑が多く居住する香港やシンガポールでも軽食として広く食べられます。

この料理が面白いのは中国のそれぞれの地域でほとんど作り方が変わらないにも関わらず、まったく呼び方が異なること。台湾ではご存知『蚵仔煎│オーアーチェン』と台湾語で発音されますが、福建省やその他の地域では『煎蠔餅』または『蠔烙』などとも呼ばれます。またカキは中国語で「蠔」と呼びますが、「海蠣」などの方言で呼ぶ地域では『海蠣餅』などの語で呼ぶことも。香港では『蠔仔餅』または『蠔餅』と書き、シンガポールでは『蚝(蠔)煎』と表記して『蚝烙│オールァ』と発音するという複雑なことになっています(笑)。

シンガポールではチャイナタウンなどで『蚝(蠔)煎』を食べられますが、普通話で読んでも通じない(通じはしますけど)ばかりか、文字をそのまま読んでも分かってもらえない(まぁ、なんとか分かってもらえますが…)観光客殺しの中華料理です。シンガポールでは『蚝煎』と書いて『蚝烙│オールァ』と読む。ぜひ覚えておきましょう(笑)。

『蚵仔煎』はカキ以外で作るバリエーションの豊富さも魅力の一つ。エビで作る『蝦仁煎』、イカで作る『花枝煎』、カニで作る『蟹肉煎』、いろんな魚介類で作る『總合煎』、そして何も具を入れず卵を二つ割り入れて作る『雙蛋煎』など、様々な派生料理があります。




 
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