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鹹酥雞│台湾風から揚げ

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難易度:☆ 調理時間:数日
台湾軽食の定番『鹹酥雞│台湾風から揚げ』のレシピを紹介します。通常は油で揚げて作りますが、今回はオーブンで作る方法です。台湾B級グルメの定番中の定番です。


『鹹酥雞』などの台湾揚げ物料理には必ずと言っていいほど「九層塔」、日本での通称「台湾バジル」と呼ばれる香草が添えられます。いわゆる「バジル、バジリコ」の一品種で、日本ではなかなか手に入りません。種は台湾で手に入るので、検疫をきちんと通すなら買って帰って栽培してみましょう。

バジルはシソ科の植物で、学名を Ocimum basilicum といいます。中国語では羅勒です。台湾では「九層塔」と呼ばれますが、客家語では「七層塔」と呼びます。どこで数が減ったんでしょうか?さらに広東地方では「金不換」、安徽地方では「香花子」、中国北部では「蘭香」などといい、数多くの方言名がある植物です。本家のイタリアのバジルは「甜羅勒(Sweet Basil)」と呼ばれます。タイでは様々な料理に各種のバジルを使い分けます。特にホーリーバジルは「กะเพรา(カプラオ)」、スイートバジルは「โหระพา(ホラパ)」と呼び分けるので、混同しないよう注意しましょう。

バジルは薬用としても長い歴史を持ち、西洋では呼吸器の治療薬として使われていました。中国に伝わってからは中医学でも使われるようになり、現在でも広東省では蛇の咬み傷に、安徽省では虫刺されの治療にバジルを外用することがあります。抗菌作用があるので感染症防止を期待してのことでしょう。

それではレシピです。



木須雞肉番茄│キクラゲと鶏肉とトマトの中華風シチュー

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難易度:☆ 調理時間:30分以内
洋風中華『木須雞肉番茄│キクラゲと鶏肉とトマトの中華風シチュー』のレシピを紹介します。料理名のとおりキクラゲと鶏肉とトマトをケチャップベースのスープで煮込んでとろみをつけた料理です。ごま油を使わなければそのまま洋食でも通じそうですね。


洋食、西洋料理のことを中国語で「西洋菜」 といいます。中国語の「菜」は野菜の意味もありますが、料理(の体系)という意味もあります。頭に地名、特に中国の地名がついている場合はほぼ間違いなくその地域の料理を示すので覚えておきましょう。ちなみに日本料理は日本菜です。

日本語で「一汁三菜」というように中国語でも「四菜一湯」などと言ったりします。この場合の菜は「おかず」の意味です。

菜は山東地方の方言で「バカ」を表したりもするそうです。「你怎麼這麼菜?」で「どうしてそんなにバカなんだ?」のような意味になります。安徽省でも人を馬鹿にするときに用いられたりするそうですが、どちらももともとあった方言に字を当てたものでしょう。あとは台湾のネットスラング、若者言葉に「菜鳥」というものがあり初心者を表します。他人を軽視する意味が"うっすら"とあるようです。

さらに菜は口語で「自分の好みのタイプ」 を表すこともあります。「不是我的菜」で「私のタイプじゃないわ」というような意味です。今でも通用する言い回しなので中国語中級者の方は使ってみましょう。

それではレシピです。こういった西洋料理でもごま油を加えると途端に中華の香りがしてきます。



中和湯│中和スープ

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難易度:☆ 調理時間:1時間以内
安徽料理から『中和湯│中和スープ』のレシピを紹介します。米粒大に切ったたっぷり豆腐と豚肉などの少量の具材をチキンスープで煮込んで作ります。以前紹介した『文思豆腐』と同じように、口の中を滑るような触感が特徴の絶品料理です。

『中和湯』はもともと『中河湯』と呼んでいた料理がなまって呼ばれるようになったものです。中河とは安徽省と江西省の境にある川で、東側に江西省にある東河、西側に池州にある西河があり、それが合流することから中河と名づけられました。栄養豊富な堆積物がある浅い川で、堆積物を餌に発生するバクテリアを捕食する大量の小エビが生息しています。この小エビと豆腐を使った料理が今回紹介する『中和湯』なのです。

伝説によると南宋時代の詩人方岳この料理の開発者とされます。方岳が家族を連れてこの地に移り住み、いつものように船の上で好物の豆腐料理を楽しんでいると、肝心の調味料を家に忘れてきたことに気付きました。すぐ下の河を見ると大量の小エビが生息しています。それを掬って豆腐と一緒に煮込んでみるとこれが大変おいしく、その後彼は豆腐スープを食べるときは必ず小エビを一緒に添えるようになったのだとか。その後多くの人の手によって改良がくわえられ、現在のような形になりました。700年以上の古い歴史を持つ料理です。

今では宴席料理として多くの人に愛されています。

この料理の発明者とされる方岳、彼の詩でもっとも有名なものは≪雪梅≫というタイトルの次の詩でしょう。

≪雪梅≫
有梅無雪不精神
有雪無詩俗了人
薄暮詩成天又雪
與梅併作十分春


梅が咲いいても雪が降らなければ趣がない
雪が降っていても詩がなければ俗っぽい
夕暮れ時に詩を思いついたときちょうど雪が降りだした
梅と合わせて素晴らしい新春の景色がそろった

日本でも古今和歌集に似たような歌があります。

梅が枝に 
きゐる鶯 
春かけて
鳴けどもいまだ 
雪はふりつつ
 (詠み人知らず)

歌の心は少し異なりますが、どちらも素晴らしい風情ですね。中国も日本も、梅に雪を見て心動かされるのは同じようです。

それではレシピです。


李鴻章雑燴│李鴻章ごった煮

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難易度:☆☆ 調理時間:1時間以内
安徽料理から誰もが知る偉人(?)の名を関した『李鴻章雑燴│李鴻章ごった煮』のレシピを紹介します。千切りにした様々な高級食材を一つの皿の中で合わせた料理で、箸をつける場所によっていろんな味が楽しめる料理です。宴席料理にもってこいの豪華さです。

李鴻章は清末の政治家です。欣佐大臣(全権大使)として日清戦争の講和条約を結んだことなどで知られています。同時期の欣佐大臣には先日紹介した『左公鶏』で知られる左宗棠やあの袁世凱がいます。

李鴻章は安徽省合肥の出身です。『李鴻章雑燴』は外国の客人らを招いて催した食事会で、多くの来賓に人気を博したという料理が元になっています。パーティーで提供した時点では料理名がありませんでしたが、この料理に感動した外国人らが主催者の名前を取って「李鴻章アソート」とと呼ぶようになり、そこから『李鴻章雑燴』と呼ばれるようになったようです。

またこんな説も。李鴻章は同行者らを連れて1896年にロシア皇帝ニコライ2世(大津事件のあの人)の戴冠式に参加するためヨーロッパを訪れていました。連日の西洋料理に飽き飽きしていた同行者らを労うためホテルの調理場を貸し切って中華料理のパーティーを開いたそうですが、久しぶりの中華料理を食べた同席者らはここぞとばかりに料理を食べまくり、用意していた材料がなくなってしまいました。「大人(ご主人様)、材料がなくなってしまいました、どうしましょう?」と料理人が李鴻章に耳打ちすると、「食べ残した料理を集めて細切れにし、もう一度加熱してまとめて皿に盛り付けろ」という指示が出ました。この料理が一緒に招かれていた少数の西洋人らにバカ受けし、料理名を尋ねられました。李鴻章はちょっと考えてから「好吃多吃!!」(ええい、知らんがな!とにかくおいしいならもっと食え!)と叫んだそうです。好吃多吃(hao chi duo chi)の発音が、英語の Hotchpotch(ごった煮)と音が似ていたことから、李鴻章雑燴とよばれるようになったのだとか。じっさいには煮込んで作るわけではないですが、おもしろい話ですね!

100年をかけて洗練された料理、ぜひお楽しみください。

写真はチンゲンサイと肉団子が使われています。
レシピでは使いません。
お好みでアレンジしてください。

清蒸石雞│カエル肉の中華蒸し

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難易度:☆☆ 調理時間:1時間以内
カエル肉を使った安徽省の伝統料理『清蒸石雞│カエル肉の中華蒸し』のレシピを紹介します。カエル肉とその他の具材をチキンスープに浸け、容器ごと蒸して作る料理です。カエル肉はちょっと…という方は鶏肉で作ってみましょう。

学校では習わないので知らない人も多いのですが、実はカエルには肋骨がありません。首の下から腹まで肋骨に守られることなく内臓が詰まっているのです。そのため解剖が簡単で、内臓機能を観察するための試料に使われることがあります。俗にいうカエルの解剖というやつです。ちなみにカエルには横隔膜もありません。おなかぷにぷにです。

「石鶏」は中国では同名の鳥がいるので紛らわしいのですが、カエルの一種です。学名を Quasipaa spinosa、中国語の標準名は棘胸蛙と言います。中国南方の山間部、渓流の岩の間などに生息して、主に夜間に活動します。古くから滋養強壮などの薬用にも用いられた有用動物で、皇帝への献上品としても長い歴史を持ちます。近年価格が高騰気味で乱獲により急激に数を減らしている動物の一つで、保護が叫ばれていますがどうなることでしょう。代用のカエル肉はたくさんあるので、数年捕獲を禁じれば数は元に戻りそうですけどね。人口養殖の研究も進んでいます。

その身は蛋白で柔らかく、 上等の山の幸とされます。日本でも加工済みのカエル肉が手に入るようになってきたので、ぜひ挑戦してみてください。



胗心相伴│砂肝とハツ炒め

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難易度:☆ 調理時間:一瞬
前回に続いて安徽料理から『胗心相伴│砂肝とハツ炒め』のレシピを紹介します。砂肝と鶏の心臓を調味料で炒めた料理で、下ごしらえしておけば調理は一瞬で済みます。ビールのおつまみに食べたいですね。

砂肝はニワトリ(など)の砂嚢と呼ばれる器官のことで、解体したとき中に砂粒が入っていることから名付けられています。全ての鳥類がもつ器官で、ご先祖である爬虫類と魚類の一部もこの器官を持っています。また多くの恐竜も砂肝を持っていたと考えられています。

発達した筋肉の塊のような器官で、飲み込んだ砂粒を使って食材をすりおろし、胃に送る役目を持っています。

ニワトリやアヒルの砂肝は中国では各地で幅広く利用される食材の一つで、ニワトリのものは雞肫、雞胗、雞胃などと呼ばれます。今回の料理名にある「胗」が砂肝の意味です。台湾語では
腱」とかいてキアン、広東語では「脽」とかいてゾウのように発音します。ちなみにインドネシア/マレー語では「Ampela」というのですが、これってカヤツリグサ科の植物の学名だった気が…。調べてみるとやっぱりカヤツリグサの仲間で、それで作ったむしろを日本語でもアンペラというそうです。元の植物もマレー半島原産なので関係があるのかもしれません。ただジャワ語では「Rampela」と書くそうなので、別の語源由来の単語がたまたま同じ表記になったという可能性も…。思い出すことがあれば続けて調べてみます。

それではおいしく調理してください!


肥西老母雞湯│肥西風鶏スープ

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難易度:☆ 調理時間:1時間以内
使うのは鶏肉と水と塩のみ!安徽省は肥西の名物『肥西老母雞湯│肥西風鶏スープ』のレシピを紹介します。しかしただ煮込むだけではありません、塩を使ってどれだけ鶏肉のうま味を引き出せるかが調理のポイントとなります。

安徽省肥西縣は合肥市にある県です。中国では日本と違って市の中に県があったりするので複雑です(笑)。安徽省にある○○県の中では最大の規模を誇ります。清代末に台湾省の巡撫(今の日本ででいう知事クラスの地位ですが、軍の責任者でもあります)として活躍した「劉銘傳」の出身地です。

劉銘傳は台湾基隆がフランス軍に占領されたときに、台湾の軍を率いてフランス軍と戦い勝利した名将です。また彼は日本統治が始まる前に小規模ですが台湾に鉄道の敷設を行いました。他にも台湾で初めての電灯を整備したり、学校を作ったりと台湾近代化の礎を築きました。そういえば台北市には彼の名前を取った「銘傳大學」や「銘傳國小(小学校)」もあります。清末台湾史に名を残す人物の一人です。(彼が基隆を占領したフランス軍を破る経緯はこちらのレシピを参照。)

そんな彼の出身地に伝わる伝統料理です。冷蔵庫がない時代はどうやって作っていたのでしょうか?シンプルな料理だけに料理人の腕や素材の善し悪しが味を左右します。それほど手間はかかりませんが、何度も練習しておいしい『肥西老母雞湯│肥西風鶏スープ』が作れるようになりましょう。


三絲蘆筍│三色アスパラガス煮込み

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難易度:☆ 調理時間:30分以内
アスパラガスを使った『三絲蘆筍│三色アスパラガス煮込み』のレシピを紹介します。とろみを付けた中華スープでアスパラガスをニンジンとシイタケの千切りと共に煮込んだ料理です。肉料理の付けあわせとして抜群の相性を誇ります。美味しいですよー!

アスパラガスは紀元前2000年頃の古代ヨーロッパで栽培されていた比較的長い歴史を持つ野菜です。とはいえ高級食材であったようで、古代ギリシャでは通風の治療薬として用いられていたそうです。当時のアスパラガスは茎の細い野生品に近いものだったようですが、その薬用効果は古くから知られていたのですね。

日本へはオランダを通じて18世紀にもたらされますが、当初は観賞用として栽培されるのみで口にする人はいませんでした。アスパラガスが日本人に食べられるようになったのはつい最近、昭和の時代に入ってからです。当時は主にアメリカから食用のアスパラガスの缶詰を輸入していたそうですが、すぐに北海道で国産種の栽培が始まっています。それほど人気だったのです。

中国では清末にアスパラガスの栽培が始まりました。アスパラガスの導入は日本より後ですが、栽培は日本より先です。当初の栽培量は微々たる物でしたが、50-60年代に国民党により台湾に栽培方法が伝えられ、80年代には台湾のトップ輸出作物になるまで経済規模を拡大します。当時世界で流通するアスパラガスの7割は台湾産でした。そんな時代もあったのです。

80年代後半から、殿様商売に気を良くして品質改善にまったく力を入れてこなかった台湾のアスパラガスは、味が悪く高いというレッテルを貼られ、あっという間に国際市場で愛想をつかされてしまいます。同時期に優良品種を選別して大規模栽培を始めた中国産にあっという間に市場を取られてしまいました。国際市場におけるアスパラガスの失敗は近代台湾農業史における痛恨のミスとして今でも語り継がれています。

現在中国の主要な産地は福建、河南、陝西、安徽、四川、天津、山東などで、その中でも山東省が最大の生産量を誇ります。今では世界で流通するアスパラガス缶詰の半分を中国から輸出しており、日本にも多くが輸入されています。

アスパラガスは新陳代謝を促進し、免疫機能を高め、高血圧、心臓病、浮腫、膀胱炎など様々な疾病に予防、治療効果が認められています。近年は優れた抗がん作用も見つかっており、研究が進められているようです。

美味しくて優れた薬効を持つアスパラガス、国際市場で「野菜の王」の別名をもつのは伊達じゃないようです。

大救駕│お助けパン

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難易度:☆ 調理時間:1時間以内
料理名を見ても意味が分からないかもしれませんが、本当にこういう名前の料理です。安徽省の名物『大救駕│お助けパン』のレシピを紹介します。安徽省と雲南省でまったく同じ名前の別々の料理があるのですが、今回は安徽省版のレシピです。パイ生地状のパンに餡を包んで揚げて作ります。

安徽省の『大救駕』は特に雲南省の同名料理と区別して呼ぶ場合は『(安徽)油炸大救駕』と呼びます。雲南省のものは『(雲南)騰衝大救駕』です。どちらも皇帝の命を救ったことから命名された料理で、数多くの伝説があります。

今回は安徽省バージョンなので、安徽省の『大救駕』にまつわる伝説を紹介しましょう。

『大救駕』は安徽省壽縣一帯に伝わる伝統料理です。伝説によると956年、周の世宗が淮南地方を攻めた時に大將である趙匡胤は9ヶ月かかけてやっとのことで城を一つ落としました。攻城には成功したのですが、趙匡胤はあまりの疲労のため落城後すぐに病気にかかってしまいました。何を食べても吐き戻してしまい、まったく栄養が取れない状態になってしまったと言います。

この時軍の料理人は彼の体力を回復させるため、小麦粉と砂糖、干しミカンなどを使って簡単な揚げ菓子を作りました。料理人が趙匡胤の元に料理を持ち込むと、その香ばしい香りに臥せっていた趙匡胤は体を起こし、すぐに一口食べたといいます。咀嚼するたびに口の中に広がる柑橘類の酸味と砂糖の甘味、趙匡胤は出来上がった菓子をゆっくりと平らげ、しばらく休むと体はすっかり回復していました。

趙匡胤は料理人にいたく感謝し、多くの褒美を取らせたといいます。この時に作られたお菓子は、大将が病で動けなかった軍を救ったということで『大救駕』と名付けられ、今に伝わり多くの人に愛されることとなりました。安徽省だけでなく淮河河口一帯ならどこでも食べることができますが、安徽省のものが特に有名です。

たまにはこういう中華点心を自作してみるのも楽しそうですね。

ちなみにかなり珍しいですが「大救駕」という同名の生薬もあります。日本の園芸店などでもおなじみのアカバナ科ヤナギランという植物の根茎がそうです。日本ではほとんど薬用に使いませんが、打撲や不眠症に使ったりします。日本の北部地方には自生していますし園芸店でも手に入るので、園芸ファンは手に入れて鑑賞するのもよいでしょう(笑)。

もちろん料理にも挑戦してみてください。それではレシピです!一軍を救った菓子『大救駕│お助けパン』をどうぞ!



過油肉│晋風回鍋肉

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難易度:☆☆ 調理時間:半日
山西料理を代表する名菜『過油肉│晋風回鍋肉』のレシピを紹介します。焼肉とはいえ結構な手間隙がかかるので、しっかりと手順を追いながら調理してください。山西料理の代名詞とも言える名物料理です。

この料理の属する山西料理は山東料理の派生菜系といわれ、晋菜とも呼ばれます。現在の山西省は「中国文明」発祥の地とされ、その歴史は5000年以上遡れます。この地域に残る料理には数千年の歴史を持つものが少なくなく、それらはその他の地域に伝わって各地域の料理に大きな影響を与えました。その後この地域の料理は晋商と呼ばれた塩商人らによって牽引、発展してきました。晋商は安徽省を中心とした徽商(茶葉の交易)と広東省の潮商(在外華僑の中心)とあわせて「三大商幫」と呼ばれ、古代から近代まで中国全土で絶大な権力を誇りました。国共内戦時にどれも見る影もなく落ちぶれてしまいましたが…。

今回紹介する『過油肉』は晋菜といえば真っ先にこの料理が挙がるほど著名な料理で、まさに晋菜の代名詞。もともとは山西地域の豪族らに食べられていた料理が本になっているそうですが、この地域に集った商人らに愛され、彼らにより様々な地域に伝えられました。レシピが伝わる過程で調理方法に多くの改善が加えられ、様々な派生料理を生み出した料理でもあります。鶏むね肉を使った『紅白過油肉』や、ナマコを使った『海參過油肉』、豚の腎臓を加えた『過油肉加腰花』などが有名で、山西省周辺ではその他様々な派生料理が食べられます。遠くは上海、新彊辺りまで類似の料理が伝わっており、それらの地域では『走油肉』などとも呼ばれます。

現地ではお酒のおつまみの定番とされ、とくに黄酒との相性が良いといわれています。日本で言うなら米焼酎でしょうか?この料理の再現に挑戦される方は、おいしいお酒を準備してから調理してみましょう。


麻辣臭豆腐│激辛臭豆腐

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難易度:☆ 調理時間:1時間以内
臭い料理台湾代表『臭豆腐』を使った『麻辣臭豆腐│激辛臭豆腐』のレシピを紹介します。メイン食材の『臭豆腐』が日本ではおそらく手に入らないので、本格的に作るには『臭豆腐』から自作することになります。普通の豆腐を使って作ってもおいしいので、日本の豆腐で作りましょう。

難易度は高いですが…『臭豆腐』の作り方はこちら。

 『臭豆腐』はもともと清代に安徽省で生まれ、湖南省の名物となり、戦後台湾に伝わりました。ダシと辛味の効いたスープで煮込んだ『麻辣臭豆腐』は、台湾各地の夜市の看板料理となっています。

旅行者が最初に食べるにはちょっと勇気がいりますが、はまる人はとことんはまってしまいます。

最近の研究によって豆腐が発酵する過程で大量のビタミンB12が生成される事が分かりました。臭豆腐には普通の豆腐に比べて大量のビタミンB12が含まれます。ご存知ビタミンB12は眼精疲労や末梢神経障害、貧血の治療薬としても使われています。臭豆腐を食べる人はこういった症状の予防ができているのではないでしょうか?

健康食としても今後注目されていきそうですね。


雪冬山雞│雪冬山鶏

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難易度:☆☆ 調理時間:1時間以内
安徽料理が続きます。これまた素敵な名前の『雪冬山雞│雪冬山鶏』のレシピを紹介します。地鶏とタケノコを醤油ベースのソースで煮込んだ料理で、日本でも簡単に再現できます。おかずにピッタリです。

当ブログでも安徽料理はあまり扱わないので、今回は安徽料理とは何かについて前の記事より一歩踏み込んで解説してみたいと思います。

古くは徽州と呼ばれた安徽省の中心は現在の歙縣徽城鎮、古くは新安と呼ばれた場所にあります。秦の始皇帝の時代に郡県がおかれて以来開かれた場所とされ、2000年以上の歴史がある古都です。この安徽省の中心部は歴史的にかなり複雑に名前と所属が変わっており、相当の地理マニアでもない限り時代と地名を一致させるのは至難の技です。何せ王朝や皇帝によって「歙州」や「徽州」を指す場所が入れ替わったり、移転させられたり、別の省に属したりと、それはめまぐるしく変わりまくります。このため安徽料理の正統な流れはここ数十年の研究でやっと明らかになりました。

もともと安徽料理の源流は黄山のふもと、最も古い時代に徽州と呼ばれた現在の歙縣にあります。この地域は唐代より良質の茶葉の産出として有名で、この茶葉を求めて集まった多くの商人たちによって発展しました。最初期には山に茶畑を開いていく過程で得た山野の珍味をどのように調理するかというのが安徽料理の命題とされ、現代にも多くの珍しい食材(ハクビシンやスッポン)を使った料理が伝えられています。また安徽省は良質の墨と硯の産地として古くから知られています。(いまでも墨と硯の超高級ブランド産地で徽墨や歙硯などと呼ばれます。)宋代は茶葉と墨硯の交易により大きく栄えます。

時は流れ、安徽料理は歙縣から茶葉と硯を運ぶ運河に沿って伝播、発達していきました。 南宋時代にはすでに一大料理体系として全国で名を馳せるようになっており、明清代に更に大きな発展を遂げました。歴史の流れから分かるように、安徽料理を主導してきたのはこの地に集った商人たちで、その進化は「商談時に相手をもてなし、驚かせるための趣向」に収斂されていきます。

たかだか商人の料理と侮ってはいけません。安徽省出身の商人らの「幫」は明清代、全中華圏でだんとつトップの巨大結社だったのですから。現代の我々が安徽料理を見たときに感じる"ちょっとした驚き"、"ものめずらしさ"や"なんだか得した感じ"はなるほど商談にはピッタリかもしれません。重めの味付けの料理が多いのも、商談の時の味を忘れられないようにする工夫でしょう。ただ…この安徽出身の商人らの「幫」はいまでは見る影もなく落ちぶれてしまいました。この辺も八大菜系にありながら安徽料理がほとんど知られない要因の一つでしょうか。料理に歴史ありですね。

いまでこそ八大菜系では福建、四川、広東料理が有名ですが、清末くらいまでは中華料理といえば安徽料理という時代がたしかにあったのです。この辺のうんちくも安徽料理を食べるときに思い出してみてくださいね。



雲霧肉│雲霧肉

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難易度:☆☆ 調理時間:1時間以内
日本ではなかなか食べられない安徽料理、今回は素敵な名前の『雲霧肉│雲霧肉』のレシピを紹介します。豚バラ肉を香辛料で煮込んで作る『東坡肉│トンポーロウ』のような料理ですが、味がまったく異なります。材料はすべて日本でも手に入りましが、特殊なつくり方をするので一度レシピに目を通してから作りましょう。すばらしい香りでとても食欲をそそりますよ。

この『雲霧肉』は安徽省の名物料理の一つ。調理時に鍋の中に立ちこめる煙を雲や霧に見立ててこの名前が付けられました。残念ながら日本だけでなく台湾でもこの料理は食べられません。

なんとこの料理1999年に中国で行われた「國際美食大賞」で金賞を受賞したことがあります。香港の鏞記酒家(Yung Kee Restaurant)から出品されたものらしく、レストランで食べるなら香港に行けば良さそうです。それほど難しい料理ではないので、自作してしまうのが手っ取り早いですね。

日本どころか台湾でさえ安徽料理はほとんど食べる機会がありません。というか本場中国ですら安徽省以外で安徽料理を食べるのは至難の業…。現在に安徽料理の名物とされるレシピは100を超え、そのどれもが他の地域の料理とは一風違った趣です。これからちょっとずつ紹介していきたいと思いますのでご期待ください。

それでは安徽の名菜『雲霧肉│雲霧肉』!たぶん日本語のレシピは初公開です。台湾でも日本でもレストランでは食べられません。自作に挑戦してみましょう!


汆鵪鶉│中華風ウズラスープ

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難易度:☆ 調理時間:1時間以内
徐州の伝統料理からちょっと珍しい『汆鵪鶉│中華風ウズラ煮』という料理を紹介します。日本ではほとんど食べる機会がありませんが、材料はすべて手に入るので再現が可能です。

徐州の料理は徐海菜と呼ばれ蘇菜(江蘇料理)の一つに分類されます。徐州はいまでこそ江蘇省に属しますが、60年ほど前からどの省に属するのか非常に不安定な地域でした。近代に入ってすぐ、今はなき淮海省に属しましたが、すぐに山東省に編入され、一部が安徽省に編入されたあと正式に江蘇省に属することになりました。台北市内にも徐州路という道があるのですが、短い路なので何処にあるかご存知の方はかなりの台北通でしょうね(笑)。

実際の徐州は江蘇省の北西のぴょこんと飛び出した地域で、歴史的にも地理的にも江蘇省よりも山東省との関係が深いといわれています。淮揚菜を有する江蘇料理の下位分類とされながらも、山東料理の影響を色濃く受けた徐州料理は非常に歴史の古い江蘇菜の中にあっていわば異色の料理体系となっています。"あえてちょっと外した感"のあるラフな感じ、でもラフすぎないとでも言いますか…、とにかくどこか違和感のある、そしてそれが面白いという不思議な料理が多い菜系となっています。

今回の『汆鵪鶉』で使う食材は「ウズラ」。ウズラは高蛋白低脂肪低コレステロールの代名詞のような食材で、中華料理では鶏肉よりも珍重される食材です。高血圧、肥満、糖尿病など様々な疾病を持つ病人食としても有名で、その健康効果は非常に優れています。有名な漢方薬材である高麗人参と比べられ、「動物人参」と呼ばれることも有ります。今回の料理もスープに高麗人参や黄蓍を加えて薬膳風に仕上げるのも良さそうです。

それでは当ブログでは初めてのウズラ肉を使ったレシピ『汆鵪鶉』です。いろいろにアレンジしてお楽しみ下さい。

 写真はウズラ肉をそのまま煮込んでいますが、
これも『汆鵪鶉』と呼びます。

XO醬炒蘿蔔糕│ダイコン餅のXO醤炒め

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難易度:☆ 調理時間:一瞬
続いく潮州菜シリーズ。今回は『XO醬炒蘿蔔糕│ダイコン餅のXO醤炒め』のレシピです。どちらかというと普通の広東料理です。材料さえ揃っていればあっという間に作れます。

この料理で使う『ダイコン餅』の作り方はこちら。

ダイコン餅は通販でも買えます。


何度か紹介している中国八大菜系をその下位分類までまとめてみたいと思います。まずは八大菜系とその下位分類をざっと紹介してみます。下位分類は他の分類方もあるので一概には言えませんが、大体こんな感じになります。潮州料理が何処にあるか確認してみましょう。

鲁菜 山東料理
済南菜・胶東菜・孔府菜
川菜 四川料理
蓉派川菜・渝派川菜・塩帮菜
粤菜 広東料理
広府菜・潮州菜・東江菜・順德菜
蘇菜 蘇州料理
淮楊菜・金陵菜・蘇帮菜・徐海菜・無錫菜
閩菜 福建料理
福州菜・漳州菜・厦門菜・泉州菜・莆田菜
浙菜 浙江料理
杭帮菜・寧波菜・紹興菜・温州菜
湘菜 湖南料理
湘江菜・洞庭菜・湘西菜
徽菜 安徽料理
沿江菜・沿淮菜

いかがでしょうか?日本人になじみのある料理は四川、福建、広東料理くらいでしょうか?『北京ダック』に代表される北京料理や、このブログで紹介している台湾料理は上記の八大菜系には入らない「其他菜系」に分類されます。以下に其他菜系に分類される料理をざっとまとめてみます。

京菜 北京料理
津菜 天津料理
遼菜 遼寧料理
豫菜 河南料理
鄂菜 湖北料理
赣菜 江西料理
吉菜 吉林(及び黒竜江)料理
黔菜 貴州料理
滇菜 雲南料理
客家菜 客家料理
清真菜 イスラム料理
台湾菜 台湾料理

とまあこんな感じです。台湾料理は歴史的に福建料理の漳州菜、泉州菜、そして広東省の潮州菜に強い影響を受けています。

普通に日本に住んでいると、中華料理のレストランに足しげく通ったところで口にする機会があるのはこれらのごく一部に過ぎません。仮に中国に住んでいてもその地域の料理をほぼ毎日口にすることになります。が!台湾ではこれらの料理の半分以上を(多少アレンジされていますが)堪能することができるのです!台湾が食の都と呼ばれる理由が分かってもらえたでしょうか?食べたい料理があれば、「台北 ○○菜 餐廳」などのキーワードで検索してみましょう。

それではレシピです!


蛤蜊肉丸煲│ハマグリとミートボールの中華風シチュー

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難易度:☆ 調理時間:1時間以内
ハマグリとミートボールを使った中華風シチュー『蛤蜊肉丸煲│ハマグリとミートボールの中華風シチュー』のレシピを紹介します。以前も同名料理を紹介していますのでそちらも参考にしてください。今回は市販の冷凍ミートボールを使って作ります。

以前紹介した『獅子頭』は江蘇省の淮陽料理の一種ですが、同じ肉団子を他の地域では『肉丸』と呼びます。他にも鎮江や南京あたりでは「劗肉」、安徽省では「徽州丸子」と呼ばれる肉団子があります。台湾では新竹の「貢丸」が有名です。

「肉丸」の名称に使われている「丸」の字は円ではなく球を表しており、"丸剤"などでも同じ意味で使われます。もともとは「丸い玉を弓の弦に当てた様」の象形文字だそうですが、パチンコみたいな武器の弾丸として使われていたのでしょうか?

肉を丸めて焼いたり煮込んだりした料理は世界中にあるので、興味のある方はそれぞれの作り方や特徴を調べてみるとよいでしょう。もちろん中華の肉団子料理は甘口男にお任せください!

それではレシピです。



冬笋麂絲│タケノコとキオン炒め

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難易度:☆☆☆ 調理時間:30分以内
本日は高難易度の特殊な材料を使った料理『冬笋麂丝│タケノコとキオン炒め』を紹介します。ほとんどの日本人が知らないであろう「キオン」という動物の肉を使います。果たして「キオン」とは?!

台湾には三種類のシカ科の動物がいます。「台湾水鹿」、「梅花鹿」、そしてもう一種がこの料理で使う「山羌(キオン)」です。それぞれ簡単に説明します。

台湾水鹿、学名は Cervus unicolor swinhoei。台湾固有の水鹿亜種で、別名を四目鹿といい、両側の目の舌に眼下腺を持つことから名付けられています。南部の飼育場に行けば割と簡単に見かけることが出来ますが、野生種を見つけるのは至難の業だそうです。台湾最大の草食動物でもあります。

梅花鹿、学名は Cervus nippon taiouanus。台湾固有の亜種で、野生個体群は1969年に絶滅してしまいました。現在は自然公園の中で飼育されています。戦国時代日本の武将たちが武具用の皮革としてこぞって求めた記録があり台湾史、日本史とも関係の深い動物です。

最後に山羌、学名は Muntiacus reevesi 。和名がキオンです。台湾語で「羌」は「Kiong」と発音し、和名の由来になっています。台湾では保護されている動物なのですが、日本では動物園で飼育していたものが逃げだして野生化し、各地で獣害を引き起こしています。日本では狩猟対象になっているので、コネがあれば肉が手に入るかもしれません。普通はただの鹿と区別しないと思うので、野生の鹿肉を食べたことがある方はそれがキオンの肉だったかもしれません。台湾固有の鹿のうち、最も個体数が多く、市場では肉も出回ります。南部の一部レストランで食べることができます。料理名にある「麂(jǐ)」はキオンの別名です。皮が非常に柔らかく美しいことから、高級靴や鞄に使用されることもあります。同じ名前の植物があるのが紛らわしいですね。

麂肉は中国で古くから食用にされていたようで、いくつかの本草書に記載があります。《証類本草》では“味甘、平、无毒。主五痔病。炸出以姜、醋進之、大有效。又云:多食能動人痼疾。臣禹錫等謹按日華子云:麂、凉、有毒。能堕胎及発瘡癤疥。”などと書かれています。痔に効果があるそうですが、怖いので妊婦さんは食べるのを控えておきましょう。

さて、この料理はもともと安徽省の伝統料理で、湖南省でも食べられます。さすがにキオン肉で作るのは難しいので普通の鹿肉を使ってレシピを書いています。まぁ、大きな違いはないでしょう。 この属の動物にしか使われない漢字ですので、覚える必要はありません。鹿肉が手に入ったら、ぜひ挑戦してみてください。


薬膳テキスト

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5.長桑君と扁鵲
長桑君は春秋時代の人で、当時も大きな名声を誇った医師でした。中薬、薬膳(食事療法)に精通し、豊富な臨床経験があったと言います。扁鵲はその弟子で、本名を秦越人といい、医術に精通していたことから扁鵲と呼ばれました。中国史上に名を残す名医として有名です。

《史記・扁鵲列伝》では扁鵲はもともと旅館の管理の仕事をしており、そこに長期滞在した長桑君に出会ってから彼の医術を受け継ぎます。老いた長桑君は“我有禁方、年老欲伝与公、公勿泄”と自らの持つ秘法を決して口外しないことを条件に扁鵲に与えます。

扁鵲は長桑君の伝えた秘薬を30日間服用したところ、壁の向こうにいる人の姿が見えるほどの透視力を身につけました。これは扁鵲の事物の把握力や病気の診断力が並外れており、疾病の場所、問題点、使用する薬物の正確さが飛びぬけていたことを表しているとされます。彼をして四診、脈診などの診断学の基礎が確立されたとも言われ、特に鍼灸を学んだ人なら必ず一度は彼の話を聞いたことがあるでしょう。

また彼が残したとされる「六不治(病気の治療を不可能にする六つの状態)」の教え、即ち「驕恣不論於理(おごり高ぶって論理を軽視するもの)」、「軽身重財(身を軽んじてお金を重視するもの)」、「衣食不能適(衣食が適さないもの)」、「陰陽並蔵気不定(陰陽と五臓の気が定まらないもの)」、「形羸不能服薬(体が弱って薬すら飲めないもの)」、「信巫不信医(迷信に頼り医師を信じないもの)」です。様々な示唆に富むこれらの教えは、現代の医術でもたびたび学生に教えられます。

さて、扁鵲の治療に関するエピソードは枚挙に暇がありません。多くの中国人が一度は聞いたことがあるであろうエピソードをいくつか紹介しましょう。

晋昭公の時代、多くの大夫が勢力をつけ、そのうち趙簡子と呼ばれる大夫は国事を掌握するまでになりました。しかし趙簡子は病に倒れ、治療のため扁鵲が呼ばれます。趙簡子の横たわる部屋に入って診察を行った扁鵲は「血脈は正常です。何も心配することはありません。以前似たような症状を見たことがありますが、そのときの病人は七日後に目覚め、『天帝のそばで愉快に遊んでいた。おかげで帰るのが遅れたが、天帝がこの後大きな乱があるといい帰ってきた』といいまさにそのとおりになりました。趙簡子公も三日ほどで目を覚ますでしょうが、その後予言めいたことを言うでしょう。しっかりと記録しておきなさい」と配下の者に伝えました。二日後、まさにその通りになり無事目を覚ました趙簡子は扁鵲に大きな土地を贈りました。

また扁鵲が虢(かく)の国に赴いたとき、まさに虢の皇太子が死んだ当日でした。王宮の前で医術に詳しい人に何が起きたのかを尋ねたところ、「太子は何らかの病気だったらしい。血気の運行が不規則で、陰陽が交錯しては排泄が出来ずに体表で猛烈に爆発し、内蔵が障害を受けてしまった。人体の正気が邪気を止められず、邪気が体から出て行かなかった。それで亡くなった」と答えました。扁鵲がいつのことか訪ねると「先ほど」、死体は埋めてしまったのかと訪ねると「まだ、死んでから半日も経ってない」と返事が返ってきました。扁鵲は直ちに「私なら太子を蘇らせられます」と言い、そばにいた人々に王宮に取り合うように伝えました。しかし人々は荒唐無稽なことをいい始めた扁鵲をあざ笑い、時に様々な故事を引き合いに出して彼を諭しました。扁鵲は天を仰ぎため息をつき、「私の医術なら、患者に触れずとも、顔色を見たり、声を聞いたり、姿を見れば病気がどこにあるのか分かるのです。また体中の病気は必ず体表にも反応が現れます。体表の状態を知ることが出来れば千里の遠くにいても診断することとが可能なのです。私の言葉を信じられないなら、どうか王宮に入り太子の体を見てきてください。彼の耳元では微かな音が聞こえるでしょうし、小鼻は小刻みに振動しているはずです。また太ももから陰部にかけては熱が残っているでしょう。」と呟きました。民衆らが返す言葉もなく唖然とした表情で扁鵲を見つめていたところ、この話を聞きつけた王宮の人が公にこの話を伝え、公は早速扁鵲を王宮に招きました。扁鵲は公に太子の病の状況を説明し、いわゆる仮死の状態にあることを伝えます。扁鵲は付き人に針を用意させ、百会のツボに針を刺した数瞬の後、太子は突然目を覚ましました。また扁鵲が配合したシップを両脇に貼ると太子は座ることができるようになり、調合した薬液を20日ほど服用することで病気は完全に回復しました。この話は瞬く間に天下に伝わり、扁鵲が死人を蘇らせたと大きな噂になりましたが、扁鵲は「さすがに死人は蘇させられない。私はただ体を回復させただけだよ」と笑ったと言います。

他にも扁鵲は様々な場所を旅し、それぞれの場所で民の要求に基づいて多くの患者を治療しました。土地によって婦人を治し、老人を治し、子供を治し、その時その場所であらゆる病を治した全能の医師とも呼ばれ、現代でも大いに尊敬されています。現代の漢方診断の元となる四診の基礎を築いた人とされ、薬膳や食事療法に与えた影響は計り知れないものが有ります。
6.華佗と薬膳
華佗は東漢末期に活躍した医師で、現在の安徽省出身とされます。三国志ファンにはすっかりおなじみの名前でしょう。華佗は世界で初めて麻酔薬物“麻仏散”を用いて外科手術を行ったとされ、曹操の侍医として頭痛を取った話、関羽の腕の手術をした話、死亡した双子の胎児の片割れを取り出した話などは熱心な三国志ファンでなくてもご存知かと思います。

彼は薬物をあまり用いず、外科的手法や患者の精神をコントロールすることで病気を治療することに長けていたといいます。中国の歴史上最も早くに、「外科手術で用いる器具を平時は酒に漬けておき、用時は火により消毒して消毒殺菌して用いた」という中国の「消毒の祖」ともされます。薬膳料理で使う器具も清潔なものを用いたいものです。

薬膳や食事療法に関しては、当時の漬物を用いて当時蛇と呼ばれていた回虫を吐き出させて治療した故事が有名でしょう。安徽省や山西省の一部では現在でも、当時のままの治療法を用いて回虫の治療が行われています。当時流行していた寄生虫病を身近な食材を用いて治療するという考えは、薬膳にも通じる部分があります。

華佗は前述の張仲景、そして医学界を表す「杏林」という単語の由来となった同時代の名医董奉とあわせて「建安の三名医」と呼ばれます。


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臭豆腐│臭豆腐

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難易度:☆☆☆ 調理時間:数日
ついにこの料理の作り方を説明するときがやってきました。『臭豆腐│臭豆腐』のレシピの紹介です。簡易版とはいえかなりのコツが必要です、失敗しても諦めず何度かトライしてください。

古くは湖南省の名物料理であった『臭豆腐│臭豆腐』は時代が下ると共に中華圏各地、世界中に拡散していきました。様々な食べ方があるのですが、台湾ではやはり油で揚げた『炸臭豆腐』が有名でしょう。

『臭豆腐』は豆腐を発酵させて作る発酵食品で、台湾初心者の多くが「挑戦」させられる料理の一つ。臭いという字が入ってはいますが、実際には納豆と同じくらいのにおいの強さです。日本を代表する発酵食品である納豆を食べられない日本人が多いのと同じように、台湾でも『臭豆腐』を食べられない台湾人が数多くいることから、好みの分かれる料理であります。西太后に献上され、彼女が愛した料理として「御青方」との名を与えられたこともある料理で、このことからも分かるようにはまる人はとことんはまってしまう料理なのです。

自分で作ってみるとわかりやすいのですが、実際は発酵の程度を製作時間でコントロールすることができるため、においの強さも千差万別、発酵一日目のものなどはほとんど普通の豆腐のように食べられます。

中華料理全体から見るとその歴史は余り長くなく、清朝康熙年間に偶然作られたものがその由来だといいます。安徽省出身の王致和という男は科挙試験に落第し、そのまま北京に居座って豆腐店を経営していました。経営状況は余り芳しくなく毎日大量の売れ残りが出ていたそうですが、ある日掃除するのを忘れていた売れ残りの豆腐が青く変色しているのを発見します。今まで嗅いだことのない奇妙な臭いでしたが、食べてみると非常においしかったのでこれを売り出したところ大ヒット。これが臭豆腐の源流といわれています。日本でも大手の輸入食品スーパーに行けば開発者の名前を冠したブランドの『臭豆腐』が手に入るかと思います。

台湾に伝わったのは1949年、湖南省出身の李某という人が大陸から伝えたものが最初とされます。日本統治時代には、まだ台湾に存在しなかったんですね。

日本で手に入れるのが非常に難しい食材のため、これを使った料理は今まで一度も紹介していません。が!日本でも作れそうな製作手順をまとめることができたので紹介します。

難易度の星は三つですが所詮発酵食品、発酵過程さえ上手くコントロールできれば、手順は割りと簡単です。ポイントは余り発酵させすぎないことです。まずは半日~1日の短時間だけ豆腐を発酵させて食べてみましょう。


各地域によって藁やトウモロコシの皮、様々な野菜と一緒に発酵させたりと作り方は様々ですが、このレシピは豆腐以外何も使いません。まずは何も使わないプレーンな『臭豆腐』から挑戦してみましょう。Pointをよく読んで作ってみてください。

写真は台湾名物揚げ臭豆腐。必ず漬物が添えられます。

開陽炒粄條│干しエビ風味焼ききし麵

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難易度:☆ 調理時間:30分以内
本日は「中餐丙級證照」シリーズから『開陽炒粄條│開陽炒粄條│干しエビ風味焼ききし麵』という料理を紹介します。このシリーズも始めて長いことになりますが、まだまだ半分も終わってません。いつ終わるんでしょうか(笑)。

今回は「台湾料理」と呼ばれる物を歴史的にかんたんにまとめてみましょう。

長い歴史を持つ中国ですが、実は明朝末までは現在の台湾本島は領外とされ、王朝の支配が正式には及んではいませんでした。台湾には数十の部族に分かれた「原住民」らや、大陸の王朝支配から逃れた漢人、更には日本や東南アジアの海賊たちが隠れ住む土地で、まさに暗黒の島。この時代から残されている「原住民料理」も素朴ですが広義の台湾料理に数えられます。

そしてオランダ東インド会社による数十年の支配を受けた後、明王族の末裔と鄭成功が台湾南部に逃れてきて台湾の漢族による統治が始まります。鄭成功一族による台湾統治は清王朝による攻撃もありこれまた数十年で終焉を迎えますが、これ以降清王朝は台湾の漢化を進め、ほとんど未開の地であった台湾へ移民政策を進めます。、福建省、そして広東省から公式に多くの漢人たちが台湾に移住し「福建料理」、そして「客家料理」を台湾にもたらすのです。

そうして300年ほど清朝の統治を受けるわけですが、この時に台湾の風土に合わせて新たに生まれた料理も数多くあります。そして1895年から50年間日本による統治を受けます。近代化が進み新たな食材と日本風の味付けがもたらされ、多くの新しい料理が開発されます。現在われわれ日本人に「台湾料理」としてなじみがある料理は、この日本統治時代に開発されたものが少なくありません。

そして1950年代、国民党政府の遷台に伴って、中国大陸全土から多くの優秀な料理人たちが台湾に渡ってきます。よほどマイナーな地域の料理でない限りは、中国各地の料理のほとんどが台湾で食べられるといっても過言ではありません。中国全土から集まった一流の料理人たちは、時に伝統を守り、時にお互い交流しながら、特に台北地方で各地の料理の腕を磨きました。今では四川、広東、湖南、北京、江蘇、上海、山東、陕西、浙江、香港、雲南など(安徽以外の…)あらゆる地域の本格的な中華料理が、手軽に食べられます。

そしてナイトマーケットで売られる多くのファストフードと、街角で買えるドリンクなど、これらを全て含めて「台湾料理」と呼ぶのです。解説書や人によっては福建料理の一部であるとしますが、似て非なるものと考えた方がいいでしょう。台湾料理はそれほど独特で、多様で、複雑なのです。

中国語が読めるという方は、台湾史の教科書を一度読んでみることをお勧めします。日本史や中国史ほど長くなく、近代以降は日本との関連も強いので非常に面白く読めます。

本日は客家の粄條(米粉で作ったきし麵)と開陽(干しエビ)を炒めた料理、日本で作るなら幅広の麺や餃子の皮を切って使いましょう。客家料理らしくオイスターソースと醤油がきいた濃い目の味付けです。サラダやスープとあわせてお楽しみください。


 
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