窩窩頭│トウモロコシ饅頭

0 コメント

難易度:☆ 調理時間:30分以内
漢族に伝わる伝統饅頭料理『窩窩頭│トウモロコシ饅頭』のレシピを紹介します。トウモロコシの粉で作る蒸しパンです。

『窩窩頭』は中国北方に伝わる漢族の伝統料理で、トウモロコシ、または雑穀の粉を使って作ります。食物繊維含量がとても高く、便秘や腸炎など各種の腸の病気に効果があるとされます。

もともとトウモロコシの粉だけを使って頭のへこんだ円錐形に作り、このため『窩窩頭』(へこんだ頭)という名称がつけられていますが、現在売られているものはほとんどが雑穀で作ったもので、形も球形になりました。トウモロコシで作った『玉米窩窩頭』の他にも『黒米窩窩頭』、『高粱窩窩頭』、
紅薯窩窩頭』、『緑豆窩窩頭』、『糯米窩窩頭』など様々な『窩窩頭』があります。穀類でなら何でも作れると考えましょう。もちろん…味はそれなりです(笑)。

もともと労働者、特に苦力に主食として食べられていた料理でその発祥は明らかではありませんが、明朝時代の文献には名前が登場し少なくとも300年以上の歴史があることが分かります。明の頃は『窩窩』、『愛窩窩』、『御愛窩窩』などと呼ばれていたようです。

苦力の主食として食べられていたため、貧困や過酷な労働を象徴する食べ物でもあり、味よりもまず手軽におなかを膨らませられることが重要視されました。「一生窩窩頭を食べる」というような蔑視語も多数あったようです。

西安に落ち延びた西太后があまりの空腹に、道端の百姓の『窩窩頭』を要求しおいしく食べたというような故事も伝わっています。持ってきた食料をすべて食べつくし、臣下が食料を探しに行く暇さえ我慢できないほどの空腹に襲われた西太后は、臣下に何かお菓子を要求します。臣下らは各地に食材を探しに向いますが、近くに村も店もありません。あまりの空腹に「もう遠くまで探しに行かなくて良いからとにかく今すぐ何か持って来い」と命令します。そんな時、ふと遠くに見える百姓がなにかおいしそうに食べているではありませんか。西太后はあれを持ってこいと命じ、臣下はおっかなびっくり百姓の食べていた『窩窩頭』を献上しました。空腹は最高の調味料と言いますが、西太后はお腹一杯になるまで『窩窩頭』を食べ非常に満足したといいます。後に宮殿に戻り再び美食の限りを尽くした西太后は、ある日に「この料理も美味いが、あの時食べた窩窩頭が忘れられない」とこぼしました。この言葉が宮廷の厨房にも伝わり、その後は贅の限りを尽くした料理の脇に、必ず『窩窩頭』が添えられるようになりました。苦力らの主食が、中華王朝最後の皇后の膳に並ぶことになったという不思議な話です。

そんな歴史を噛み締めながら『窩窩頭』を再現してみましょう。そのまま作っても味気ないので、レシピには少し手を加えています。オリジナルのレシピはPointを参照してください。味はまぁ…こういう料理です(笑)。中にチョコレートやココアを入れたり、材料を工夫したりすると一気に流行るかもしれませんね(笑)。



小籠包│ショウロンポー Step 4

0 コメント

難易度: 調理時間:30分以内
これまで作ってきた素材をあわせ、ついに『小籠包』を完成させるときがやってきました。超本格小籠包シリーズ第四弾、ラストは『小籠包│ショウロンポー Step 4』のレシピです。

今までのレシピはこちら!
小籠包│ショウロンポー Step 1 [ベース肉餡]
小籠包│ショウロンポー Step 2 [皮凍│にこごり]
小籠包│ショウロンポー Step 3 [皮│皮]

今回はラストということで、台湾小籠包の代名詞「鼎泰豐」について簡単に解説してみます。

ほとんどの方が聞いて驚かれるかもしれませんが、鼎泰豐はもともと油屋でした。もともと大陸山西省に住んでいた初代社長の楊秉彝は国共内戦で荒れる中国大陸を離れ、叔父を頼って台湾に渡ります。叔父は現在の永康街で油屋を営んでおり、楊はまず油屋の配達員の仕事を任されました。楊は配達員として2年ほど働いたあと、その勤務態度を認められて店内の管理を任されることになり、この時同じ店で仕事をしていた従業員と結婚します。その後3年ほど店の管理を行っていましたが、叔父が投資に失敗して油屋は倒産の危機に。この時楊は自立を決意し、もともとの出身会社である恆泰豐と得意先だった「鼎美油行」から一文字とって、「鼎泰豐油行」という油屋を開きます。1958年のことです。

当時の台湾では電話番号の申請が非常に難しかったのですが、楊は故郷の山西省同郷会に赴き、電話番号を売ってもらうことにしました。この番号が現在でも本店で使われている"(02)-2321-8927"で、この時の同郷会で知り合った有名な書家「于右任」にかいてもらった「鼎泰豐油行」の看板は現在も永康街本店の軒先に飾られています。

その後順調に油販売で業績を伸ばしますが、1980年ころから台湾で販売され始めた缶入りサラダ油により、伝統的な油の販売は大打撃を受け、楊の経営する鼎泰豐油行も毎日の食事に困るほど困窮してしまいます。この状況を打破するため、油店の半分を唐という老兵に貸し出し小籠包の販売を始めます。

この小籠包の売り上げがまことにすばらしく、商機を悟った楊はこの老兵に小籠包の作り方を学び、本格的に小籠包の店に模様替えすることになりました。その後、口コミが口コミを呼び店は連日大行列、1993年にNYタイムスで世界十大名店に選ばれてからは、世界じゅうから観光客が訪れるようになりました。その後台湾各地だけでなく、アジア、そしてニューヨークにも出店を続け、現在の形になりました。

鼎泰豐で一年で作られる『小籠包』の数はなんと"一億個"!台湾を訪れたことのある外国人の"8割"が台湾を代表する料理に小籠包を挙げるほどの人気店となりました。現在は二代目社長楊紀華氏により、小籠包発祥の地とも言われる上海への出店も果たし、世界最高の小籠包を目指して経営を続けています。…中国大陸部には他にも多くの分店を出店していたのですが、本店の基準に従わないメニューをいくつも販売しており、偽の鼎泰豐の出店が後を絶たなかったことから…2010年に一部を残してすべての分店を撤収してしまいました。

まぁ、あくまで観光客向けのお店であることは頭の片隅においておいてください(笑)。台湾には他にもたくさんのガイドブックに乗っていない『小籠包』の名店があります。こういった店を探すのも台湾旅行の楽しみですよ。

というわけで、鼎泰豊に負けない『小籠包』を自宅で作ってみましょう!家庭で毎日のおかずにするにはちょっと複雑すぎるレシピですが、休日に本気で料理を楽しみたい人は挑戦してみてください!


小籠包│ショウロンポー Step 3 [皮│皮]

0 コメント

難易度: 調理時間:30分以内
自宅で作るレストラン並みの『小籠包』シリーズ第三弾は生地!『小籠包│ショウロンポー Step 3 [皮│皮] 』のレシピです。普通に作るものとほうれん草を練りこんだ緑色の生地を2種紹介したいと思います。

前回紹介した上海とは別に『小籠包』を名物料理として持つ無錫。上海に程近い江蘇省にある工業都市です。無錫といえばもう一つ『無錫排骨│無錫カルビ』という名物があります。覚えていらっしゃいますか?

無錫の『小籠包』は他の地域のものに比べて大型で、生地を少し発酵させて作るのが特徴です。また大きく分けて伝統的なものと現代的なものの二種類の『小籠包』が食べられます。清の乾隆帝が江南地域を視察に訪れた時、無錫恵山の寄暢園に住居を構えました。園主の秦氏一族らは皇帝をもてなそうと、秦氏一族に伝わる『蟹粉小籠』という料理を作り献上しました。この時点で『蟹粉小籠』は秦氏一族34代に代々伝わる料理であったとされています。こちらが伝統的な無錫『小籠包』の源流とされます。34代とは…何百年も歴史を遡れそうですが、記録に残っていないのが残念です。そしてもう一つ、1922年に上海で料理を学んだ王庭安という人が現在の崇安寺城中公園の側に「王興記」という店を構え『小籠包』を売り出しました。こちらが現代風の無錫『小籠包』の源流となっています。その他の地域のものより甘く作られるのが特徴です。

 上海からちょっと(120kmほど)西に足を伸ばせば無錫です。上海名物の『小籠包』を味わったら、ぜひ一度もう一つの『小籠包』のメッカを訪れてその違いを味わってみてください。

明日は今まで作った三つの材料を合わせて、いよいよ本格『小籠包』を作り上げます。記事の内容は台湾で生まれた小籠包の世界的名店「鼎泰豐」について解説してみます。
 

小籠包│ショウロンポー Step 2 [皮凍│にこごり]

0 コメント

難易度:☆ 調理時間:3時間
超本格『小籠包』を作るシリーズ Step 2 は『小籠包│ショウロンポー Step 2 [皮凍│にこごり]』のレシピを紹介します。皮を破るとあふれ出るあの肉汁の正体とは…!ちなみに『小籠包』の具としてだけではなく、冷やして固めればそのまま醤油をつけても食べられます。

清代1871年の上海。現在の嘉定区南翔鎮に「古猗園」と呼ばれる庭園がありました(今もあります)。それほど平和な場所と時代ではありませんが、当時の上海の文人らはここに集い交流を行っていたそうです。この古猗園の八字橋の側に「日華軒糕團店」と呼ばれる饅頭屋がありました。この饅頭屋の店主「黃明賢」が肉入りの饅頭を売り出したところ大ヒット、ところが模倣する店が後を立たなかったため黃明賢は皮を薄く、小型にした『小籠饅頭』を開発します。それまで日華軒糕團店を真似していただけの模倣店も商品開発に追従し、それぞれ砕いたゴマを入れて香りを高めたり、カニやエビを入れて風味を増したりと、見せごとに研究、改良を重ねました。それらの成果は来園客らに非常な好評を博しますが、元祖の日華軒糕團店は内心複雑なものがあったことでしょう。古猗園園内の外食店はついにはすべての店が「古猗園南翔小籠」という看板を掲げるまでになってしまいました。

しばらく時は流れて1900年。黃明賢の元で小籠包の作り方を学んだ吳翔昇と趙秋荣は、上海の城隍廟の側に「長興樓點心店」という店を開きます。この店は現在も観光客に愛される「城隍廟南翔饅頭店」の前身です。上海を訪れた際にはぜひ立ち寄ってみましょう。有名な観光地「豫園」の側にあります。



南翔小籠包は現在では厳格にその製作工程が保護され、2007年には上海市で始めての非物質文化遺産に指定されました。これだけ書くと上海が小籠包の発祥の地のように思われますが、前回の記事にもあるように『小籠包』は華南地区ではとても一般的な料理です。次回は無錫地区の小籠包について簡単に解説したいと思います。


小籠包│ショウロンポー Step 1 [ベース肉餡]

0 コメント

難易度: 調理時間:30分以内
ついに!このレシピを公開するときがやってきました。台湾料理の代名詞とも言える『小籠包│ショウロンポー Step 1 [ベース肉餡]』のレシピを紹介します。有名店に負けない味を目指すレシピですが、その分手順が多くなってしまうのはご了承ください。実際に台湾のお店で作られている小籠包のレシピです。今回のStep 1 では『肉餡』を、次回のStep 2 ではあふれ出る肉汁の素となる『皮凍』を、Step 3 で生地を、最後の Step 4 ですべてをまとめて調理します。


中にスープの入ったアツアツの『小籠包』の起原は北宋時代にまで遡れると言います。当時の河南開封には『灌湯包』という料理があったそうです。「靖康の変」と呼ばれる政変で北宋は金に華北地域を奪われ、北宋の王室は南部に渡ります。この時に『灌湯包』が南方に伝わり、特に江浙一帯の名物料理となりました。その後清の時代になると常州、無錫、紹興などの地域で独自に現代のような『小籠包』(のような)料理が発明されました。これらは今でも当地の名物料理となっています。

現在台湾で食べられる『小籠包』とほぼ同じ形の料理が作られたのは清の時代の1871年、上海のある菓子店が最初だといわれています。

次回はこの上海から始まった近代小籠包について簡単に解説したいと思います。お楽しみに。



 
日本で作れる台湾料理 © 2012 | Designed by Rumah Dijual , in collaboration with Web Hosting , Blogger Templates and WP Themes
FB FACEBOOK TW TWITTER