難易度:☆ 調理時間:1時間以内
中華米食シリーズ。他にもたくさんありますがここらで一区切り。最後はおなじみ『雞肉飯│鶏飯』のレシピを紹介します。今回は1970年くらい、一昔前の新聞に載っていた『雞肉飯│鶏飯』のレシピを紹介します。現在のものより"懐かしさ"を感じることができるかもしれません(笑)。過去の同名レシピはこちらから。
せっかくなので1970年代の台湾で起きた様々な事件をざっとまとめます。
まず忘れてはいけないのが1971年、台湾の国連脱退です。アメリカの思惑に翻弄される形で常任理事国の座を追われました。いわゆる「ニクソンショック」ってやつが引き金ですね。中華民国は抗議の意味で国連を脱退しますが、その後何度も国連再加入を申請しては拒否され続けています。これをうけて翌1972年には日本との正式な国交がなくなりました。
つづいて1975年、日本では蒋介石として知られる中華民国総統蔣中正が死去します。清末の混乱期に生まれ、日本へ留学、対日戦争、二度の世界大戦と共産党との内戦、そして台湾への逃亡、中華民国の軍事独裁政権の確立、経済発展などなど、とても小さなスペースでは書ききれないほどの濃密な人生を歩んだ男がこの年の4月5日、士林の官邸で心臓病にて死去しました。
さらに1977年、日本ではあまり有名ではありませんが台湾最初の不正選挙抗議事件である「中壢事件」がおきました。あらましを簡単に説明すると、国民党が桃園県の首長選挙に不正に介入して票を操作、それを知った民衆が警察署及び消防署に放火して破壊、鎮圧するために出動した警官の発砲により一般人が死亡したという事件です。後の民主化に繋がる端緒の事件とも言われます。昨年この事件に関わったとされる人物が事のあらましを告白し、票の操作及び放火は実はすべて国民党の民間人スパイが行ったことが明らかになり、国民党に対する信頼性を著しく損ないました。結局選挙は民衆寄りの政策を掲げる許信良が当選し桃園県長となりますが、彼は国民党籍を剥奪されてしまいます。
1978年は1971年の国連脱退とも関連しますが台湾はアメリカと断交、この混乱を受けて時の総統蔣經國(蒋介石の実子)が一時的に台湾での選挙の中止を発表しました。これに反発した高雄の民衆が逮捕・投獄されましたが、中壢事件後の桃園県長許信良が支持者らと共に釈放を求め台湾初とされるデモを行いました。この台湾初のデモに到る流れを「美麗島事件」と呼び、台湾民主化に向けた大きな一歩となりました。この時の投獄者の弁護団の一人に後の総統陳水扁がいます。
同じく1978年は南北を縦断する高速道路である現在の国道1号が開通、翌1979年には桃園国際機場が開業し、台湾の経済発展を牽引していきます。また1973年と1979年のオイルショックは台湾経済にも大きな影響を与えました。
70年代の台湾をざっくりまとめてみましたが、ここ10年より民衆が忙しそうに感じるのは私だけでしょうか?そんな賑やかな1970年代、当時のレシピは書籍よりも新聞が主体で、各紙は毎日の紙面に必ず家庭料理のレシピを載せていました。当時の主婦は新聞のスクラップをたくさん集めてノートに貼り付け、オリジナルのレシピ本を作っていたそうです。
中華米食シリーズ。他にもたくさんありますがここらで一区切り。最後はおなじみ『雞肉飯│鶏飯』のレシピを紹介します。今回は1970年くらい、一昔前の新聞に載っていた『雞肉飯│鶏飯』のレシピを紹介します。現在のものより"懐かしさ"を感じることができるかもしれません(笑)。過去の同名レシピはこちらから。
せっかくなので1970年代の台湾で起きた様々な事件をざっとまとめます。
まず忘れてはいけないのが1971年、台湾の国連脱退です。アメリカの思惑に翻弄される形で常任理事国の座を追われました。いわゆる「ニクソンショック」ってやつが引き金ですね。中華民国は抗議の意味で国連を脱退しますが、その後何度も国連再加入を申請しては拒否され続けています。これをうけて翌1972年には日本との正式な国交がなくなりました。
つづいて1975年、日本では蒋介石として知られる中華民国総統蔣中正が死去します。清末の混乱期に生まれ、日本へ留学、対日戦争、二度の世界大戦と共産党との内戦、そして台湾への逃亡、中華民国の軍事独裁政権の確立、経済発展などなど、とても小さなスペースでは書ききれないほどの濃密な人生を歩んだ男がこの年の4月5日、士林の官邸で心臓病にて死去しました。
さらに1977年、日本ではあまり有名ではありませんが台湾最初の不正選挙抗議事件である「中壢事件」がおきました。あらましを簡単に説明すると、国民党が桃園県の首長選挙に不正に介入して票を操作、それを知った民衆が警察署及び消防署に放火して破壊、鎮圧するために出動した警官の発砲により一般人が死亡したという事件です。後の民主化に繋がる端緒の事件とも言われます。昨年この事件に関わったとされる人物が事のあらましを告白し、票の操作及び放火は実はすべて国民党の民間人スパイが行ったことが明らかになり、国民党に対する信頼性を著しく損ないました。結局選挙は民衆寄りの政策を掲げる許信良が当選し桃園県長となりますが、彼は国民党籍を剥奪されてしまいます。
1978年は1971年の国連脱退とも関連しますが台湾はアメリカと断交、この混乱を受けて時の総統蔣經國(蒋介石の実子)が一時的に台湾での選挙の中止を発表しました。これに反発した高雄の民衆が逮捕・投獄されましたが、中壢事件後の桃園県長許信良が支持者らと共に釈放を求め台湾初とされるデモを行いました。この台湾初のデモに到る流れを「美麗島事件」と呼び、台湾民主化に向けた大きな一歩となりました。この時の投獄者の弁護団の一人に後の総統陳水扁がいます。
同じく1978年は南北を縦断する高速道路である現在の国道1号が開通、翌1979年には桃園国際機場が開業し、台湾の経済発展を牽引していきます。また1973年と1979年のオイルショックは台湾経済にも大きな影響を与えました。
70年代の台湾をざっくりまとめてみましたが、ここ10年より民衆が忙しそうに感じるのは私だけでしょうか?そんな賑やかな1970年代、当時のレシピは書籍よりも新聞が主体で、各紙は毎日の紙面に必ず家庭料理のレシピを載せていました。当時の主婦は新聞のスクラップをたくさん集めてノートに貼り付け、オリジナルのレシピ本を作っていたそうです。