雞粥花菜│鶏茸とカリフラワーのスープ

0 コメント

難易度: 調理時間:1時間以内
本日はちょっと珍しい湖北料理『雞粥花菜│鶏茸とカリフラワーのスープ』のレシピを紹介します。粥の字が入っていますが米は使わず、鶏肉と卵白、そしてカリフラワーだけで作る真っ白なスープです。

レシピのポイントは「雞茸」と呼ばれる中国中部の伝統的な食材。当地に行けばスーパーなどで売っているはずですが、日本では手に入らないのでレシピでは自作しています。

「雞茸」とはもともと福建省北部で豚肉の部位を指す言葉だったそうですが、なぜか他の地域でその字面から「鶏肉で作ったキノコのようなもの」と勘違いされるようになり、見よう見まねで作ったものが定着してしまったという冗談なのか本気なのかよく分からない料理です。江蘇や湖北のあたりでは様々な料理に応用されて使われます。シンプルなものでは『鶏茸湯』というスープが有名です。

「雞茸」は地方により作り方がかなり異なり、隣同士の市でまったく作り方が異なるほど。家庭ごとに製法が違うということもありそうです。

この『雞粥花菜』は数百年前の昔から湖北省に伝わる料理で、鶏肉やカリフラワーが貴重品とされた時代に、更に貴重品だったハムまで加えて作った贅沢な料理でした。宴席の上座に座る人だけに提供された超高級料理だそうです。

今でこそ簡単に再現できますが、食材の味と美しさそして時代の流れを楽しみながらご賞味ください。


姜雞│生姜鶏

0 コメント

難易度:☆ 調理時間:1時間以内
福建省の宴席料理『姜雞│生姜鶏』のレシピを紹介します。鶏肉とショウガのハーモニーを手軽に楽しめる見事な料理です。

ちなみに上海あたりにも同名の料理がありますが、そちらは汁気を多くしたスープ料理です。中華スープに浸けた鶏肉を蒸し器で同じように蒸すと作れます。

さて中国各地域には様々な料理がありますが、最も簡単にその地域の料理の特色を味わうならその地域の結婚式に参加してみるのが一番です。各地の宴席料理にはその地域の伝統と技術が詰まった料理が並べられるため、地域ごとの特色と歴史が一度に味わえます。まぁ、結婚式や名士の宴席に参加するにはコネが必要ですが…。

台北ではホテルにもよりますが大体一人1500~3000元で豪華な宴席コース料理が食べられます。しかも!台北の有名ホテルには四川料理や広東料理のレストランが入っていることもあるので、台湾以外の地域の宴席料理も楽しむことができるのです。


台湾の美食と言えば夜市や街中のレストランばかりが注目されがちですが、ホテルのレストランで食べられる中国全土の美食も忘れてはいけません。特に高級ホテルのコース料理は普通の台湾人ですら結婚式でしか食べる機会のない見事な料理が楽しめます。ガイドブックに載っている4つ星、5つ星レベルのホテルなら間違いのない料理が日本よりも手軽に楽しめますので、旅行時にはぜひ訪れてみましょう。値段に見合った価値は絶対にあります。一部の料理は予約しておかないと食べられない(準備に数日掛かる)ので、予約はお忘れなく!ホテルなら日本語でも予約は可能だとおもいます。

というわけで本日の料理『姜雞』は、福建省の宴席で伝統的にメインを張る肉料理です。蒸し器のふたを開けた瞬間から立ち上るショウガと紹興酒の香り、口に入れたときの鶏肉の軟らかさとショウガの辛味が絶妙のハーモニーを奏でます。通常は鶏肉を丸々一匹分使って作りますが、家庭で作るなら部位ごとに切り分けたもので作るとよいでしょう。かなり手軽に再現できますのでぜひお試しください。


牛奶煮弓魚│コイの牛乳煮込み

0 コメント

難易度: 調理時間:30分以内
少数民族料理第三弾は白族(ペー族)の『牛奶煮弓魚│コイの牛乳煮込み』のレシピです。砂糖を加えた牛乳で魚を煮込んで作るだけ。非常にお手軽な民族料理です。

白族は雲南省大理に自治区を持ち、他にも湖南、湖北、貴州などに分布しています。未婚の女性は白い羽飾りを頭に付けるのが慣わしで、これが民族名の由来ともなっています。白い帽子に赤いシャツ、白いズボンというのが伝統的な(未婚)女性のいでたちです。中国全土に200万人ほど居住しています。

以前紹介したイ族と同じく原始巫術や鬼神信仰を残しており、鵜飼をしたりワサビを食べたり日本と類似の文化を持つことなども特徴です。独特の白語という言語をもち、唐代には漢族との交流の中で独自の文字を持つまでに進んだ文化を持っていました。元代に中華の範図に組み入れられるまでは数千年にわたって雲南省で独自の文化を保って暮らしており、特に古代白語で書かれた文献は周辺地域の文化や風習を知るための貴重な資料となっています。


白族が多く居住する雲南省大理はその名前から分かるように古代から大理石の産地として知られ、これを買い付けに来た他民族と交流するうちに様々な文化を取り入れながら発展してきたと考えられています。特に唐代から宋代にかけては白族独自の支配地域を持つまでになり、時の王朝にときどき朝貢したりもしています。

料理は牛乳を多用したものが特徴で、今回紹介する『牛奶煮弓魚』以外にも牛乳を使った料理がたくさんあります。どれも本家の中華料理とは一風変わった材料をシンプルな調理方法で味付けしたもので、一度は食べてみたいものですね。

伝統的に外から来たお客さんを熱烈に歓迎する風習があるそうで、特にお茶と点心を使ったおもてなしはとても有名だそうです。



景頗鬼雞│景頗族の祭鬼鶏

0 コメント

難易度:☆ 調理時間:30分以内
数日前に紹介した中国少数民族彞族の伝統料理『坨坨雞』のレシピがかなり好評だったので、他の中国少数民族の料理も紹介してみたいと思います。今回は雲南省からミャンマーにかけて居住する景頗族(ジンポー族)の『景頗鬼雞』のレシピです。簡単に作れます。

景頗族は主に雲南省に居住する少数民族で、中国国内に15万人ほど、ミャンマーやチベットなどに居住する同じ民族を合わせると全部で100万人ほどがいるそうです。実は国共内戦時に国民党軍の一員として闘った景頗族の軍人がそのまま台湾に移住してきた記録が残っており、現在は200人ほどまで数を増やした景頗族の小さなコミュニティが高雄や屏東に存在します。毎年10月には台湾に住む景頗族の末裔が集まって祭りが開かれるそうです。一度覗いてみたいものですね。

景頗族は独特の精霊信仰を持ちますが、清末期にイギリス人によりキリスト教が広められてからはキリスト教と精霊信仰の二重信仰を持つようになりました。このためミャンマーに居住する景頗族は仏教徒だらけのミャンマーにあってほとんど唯一のキリスト教を信仰する国内集団となっています。景頗族はミャンマーではカチン族と呼ばれ、現在はミャンマー政府に対して独立を要求し時に戦闘行為が行われたりもしています。結構過激です。

女性の正装は赤い髪飾りとスカートに、黒いシャツ、肩から胸元にかけて独特の装飾を身に付けたもので、対して男性は白いシャツと帽子に黒いズボンといういでたちです。女性の衣服は竜女の生まれ変わりの意味を表すとされ、銀で作られた(現在はもっぱら錫だそうですが)装飾物を多く身につければ身につけるほど社会的な地位が高い家系の出身であることを表すそうです。

前回の『坨坨雞』や今回の『景頗鬼雞』に限らず少数民族の料理は普通の中華料理と比べてシンプルです。居住地にもよりますがあまり複雑な調味料を使わず素材をそのまま生かしたものが多いので、比較的楽に再現が可能です。中国に住む少数民族は漢族を除き五十五族(中国政府認定)、一度に全部覚える必要はありませんが、それぞれの独特の風俗と文化、そして料理はとても魅力的です。当ブログを通して少しずつですが紹介できたらいいと思っています。

それでは景頗族の伝統料理『景頗鬼雞』のレシピです!それっぽく盛り付けてみましょう。


水蓮拌肉絲│鏡蓋と細切り肉炒め

0 コメント

難易度:☆ 調理時間:一瞬
本日は台湾高雄は美濃地区の特産である「水蓮菜│タイワンガガブタ」を使った『水蓮拌肉絲│鏡蓋と細切り肉炒め』という料理のレシピを紹介します。もともとは客家料理に使われる食材です。

「水蓮菜」は下に示すような野菜で、和名をタイワンガガブタといい、学名を Nymphoides hydrophylla (Lour.) Kuntze といいます。日本にも近縁のガガブタ N. indica が存在しますが、近年生息域を減らしています。ガガブタは漢字で書くと「鏡蓋(カガミブタ)」となりこれが訛って和名となりました。漢字で書いた方が美しいので、料理名は漢字を使っています。細長い葉柄部分を食用にします。スイレン属(Nymphaea)の植物と似て学名も同じように水の妖精ニンフに由来します。学名の由来からも分かるようにとても可憐で美しい花を咲かせます。




英語で Banana plant といいアクアリウムの水草としても人気が高い植物です。中国語での正式名称は「龍骨瓣莕菜」と言い、「水蓮菜」は野菜としての名前です。まぁ、台湾で前者の正式名称を言っても誰にもわかってもらえないと思います。

台湾では高雄の美濃地区にしか生息せず、古くは自然のものを採取して食べていました。現在は同地区で栽培が行われています。時々日本にも輸出しているようですが、何せ日本ではなじみのない野菜なので普通のスーパーで手に入れるのは難しいでしょう。台湾なら全土のスーパーで買うことができます。

さっぱりとした味と、シャキシャキした食感が特徴の野菜で、通常はそのままか肉類と一緒に炒めて食べられます。素食レストランでは他の食材を束ねるときに使われたりもします。台湾南部にお出かけの際はぜひ味わって見てください。台北の熱炒店などでも食べられます。


花仁拌兔丁│兔肉とピーナッツ炒め

0 コメント

難易度: 調理時間:1時間以内
当ブログでは初のウサギ料理『花仁拌兔丁│兔肉とピーナッツ炒め』のレシピを紹介します。四川省は自貢地方の名物料理です。

まずはウサギ肉を手に入れましょう。普通のスーパーでは売っていないと思うので、通販で買うのが間違いありません。


今でこそあまり食卓に上ることのないウサギ肉ですが、今ほど牛、豚の畜産業が発達するまでは日本でもけっこう一般的に食べられていたそうです。日本に点在する貝塚からもウサギの骨が見つかることから、縄文時代(以前)から食用にされていたと考えられています。世界を見渡しても、もともとウサギが生息していないオーストラリア、南極などの地域以外では、広く食用にされています。肉質は非常に柔らかく、ミンチにするとよく粘ることから、つなぎとしてハンバーグ用のひき肉に混ぜられることもあるそうです。中華料理でも牛豚ほどではありませんが、地域によってはよく食材に使われ、特に内陸の山岳地帯、雲南省や四川省の一部地域では名物料理となっています。繁殖力が強く昼行性で、手ごろな大きさ、しかし全力で走るときは速度は時速70kmに達するそうで、世界中で狩りの対象ともなっています。

古代中国では兔を題材とした故事成語も多く、日本語にも多くが取り入れられています。中国でも日本と同じように月にはウサギがすんでいると考えられており、日本の民俗とも関連ありそうです。以下に月のウサギから始まる壮大なストーリーを簡単に綴っておきます。

その昔中国伝説上の王である舜がもうけた10人の子供たちは、交代で地上を照らす役割を担っていました。しかし次王の堯の時代、この10人の子が一度に地上を照らすようになり、地上は大干ばつに見舞われます。困った堯は羿(げい)という男に頼んで、10人の子を一人残して射殺してもらいます。この残った一人の子が今の太陽です。しかし先代王の舜は子供を殺されたことから怒り、羿は妻の嫦娥(こうが)と共に神籍を剥奪され不老不死の霊力を取り上げられてしまいます。

この羿の妻嫦娥が後にウサギと共に月に住むことになる女神です。続きを見てみましょう。

不老不死の力を失い地上に降りた羿らは、仙女のボスである西王母に頼んで不老不死の霊薬を頂戴します。この不老不死の霊薬は二人で分けて飲めば二人とも人として不老不死になれるだけでしたが、一人で飲むと神の座に返り咲けるといういわくつきのもの。神としての地位に戻りたがった嫦娥は、これを独り占めして飲んでしまい神の霊力を取り戻します。しかしさすがに申し訳ないと思ったのか、天に戻ることをためらい、代わりに月に向いました。しかし夫を裏切った嫦娥はヒキガエルに姿を変えてしまい、お供のウサギと共に孤独に月に住むことになりました。

…というお話です。古くは中国の古典《淮南子》に記載されている物語で、上手く間を補完すれば日本の《竹取物語》にもつなげられそうな物語ですね。

中国の遺跡調査によると秦代にはすでに太陽には「三本足の烏」、月には「ヒキガエル」がすむと考えられていたようです。当時はこのヒキガエルによって月の満ち欠けが起こると考えられていました。端午節で有名な屈原の著した天文書《天問》には「夜光何徳、死則又育。厥利惟何、而顧菟在腹」という記載があります。「月はいったい何のために満ち欠けを繰り返すのだろうか?どういう意図があってその内に“顧菟(ヒキガエル)”を飼っているのか?」というような意味です。この「顧菟」という単語、実は後代になると「顧兔」という風に書き間違えられ、一説によるとウサギが月に住むという故事は、この漢字の書き間違いによって生まれたと考えられてもいます。

毎年八月十五日(中秋節)に中国で月餅を供えるのは、羿が妻への再開を願って供えたものが発祥です。これが日本に伝わりお月見の団子となります。また羿が太陽を射抜いたという故事は、滋賀県などの一部地域で行われる月の的を避け、太陽の的だけを射抜くという神事の由来にもなっています。

一方、太陽の中に住むとされる三本足の烏は、紀元前37年に高句麗を建国した東明聖王の旗印としても有名です。東明聖王の父とされるのが扶余の金“蛙”王というのも奇妙な一致ですね。東明聖王が三人の友と共に川を渡るときに魚やスッポンが浮かんできて対岸に渡るというのも…どこか因幡の白兎の物語を彷彿とさせます。

ちなみに日本では三本足の烏が神武天皇を熊野から大和へと導いたという古事記の物語が有名でしょう。三本足の烏を旗印とする民俗が、古代中国から数千年をかけて朝鮮半島を下って日本に渡ってきたという壮大な物語です。物語発祥の地、中国に残された太陽に住む鳥は、後に霊鳥朱雀や鳳凰の伝説に変化します。

南の朱雀…と言われるように、太古中国南部に物語の根源があるのかもしれません。そういえば中国の南、タイやインドにはガルーダと呼ばれる霊鳥の伝説が残されていますね…。ガルーダはは龍(中華王朝の紋章!)を食べて生きるそうです。あと不死の霊水アムリタを巡る争いというものがあったり…。この伝説が長い時間をかけて日本にまで伝わってきたのかも知れませんね。

細かいことを書き出すとキリがないのでこの辺で。ウサギ肉を食べるときは、難しいことを考えながら食べましょう(笑)。


培根炒粄條

0 コメント

難易度:☆ 調理時間:30分以内
中餐丙級證照シリーズから『培根炒粄條』のレシピを紹介します。 ベーコンと粄條を使った焼きそばです。

ベーコンは中国語で「培根」または「煙肉」と表記します。前者は音訳です。ついでにソーセージとハムの中国語も覚えておきましょう。ソーセージは「香腸」、ハムは「火腿」です。

ちなみに素食(ベジタリアン料理)の発達した台湾ではベーコン、ソーセージ、ハムのどれも野菜だけで作った「素培根」、「素香腸」、「素火腿」が存在します。ほとんどは大豆を加工したものですが、一見しただけでは本物と見分けが付きません。まぁ筆者も一度工場を見学したことがあるのですが、大豆のタンパクを着色して植物油と混ぜ、増粘剤や保存料を混ぜて層状にして作るという食肉加工業者とほとんど変わらない手順で作られています。台湾の菜食主義者は宗教的な理由がほとんどで、そういう人向けにはそれでもいいのでしょう。健康のために素食を摂る人も少なからずおり、そういう人は有機野菜や農場直販の野菜を自分で調理して食べているようです。さすがに人口の1割以上がベジタリアンだけあり、一口に素食といっても色々とあるようです。

しかし台湾の素食は本当に恐るべしです。日本でも絶対に需要があると思います。

素食についてあれこれかきましたが、今回の料理は普通の肉を使って作ります。とても簡単ですので、ぜひお試しください。



皮蛋柴魚拌豆腐│ピータンの冷奴

0 コメント

難易度:☆ 調理時間:30分以内
久しぶりに「中餐丙級證照」シリーズの更新です。『皮蛋柴魚拌豆腐│ピータンの冷奴』という残暑の季節にピッタリの冷性料理です。

料理名にある「柴魚」は、中国語で正式には鰹そのものを指します。ですが普通台湾で「柴魚」または「柴魚片」といった場合「カツオブシ」を意味します。「カツオブシ」自体の正式な中国語は「木魚(花)」というのですが、なぜかあまり使われないようです。

日本ではカツオを加工した食品が縄文時代から東北地方で食べられていたそうで、奈良時代には干し魚として最も高級な調味料として宮廷に献上されるようになります。まだまだこの段階では単なる干し魚ですが、室町時代に燻製にする方法が現在の和歌山県で発明されます。この製法が四国や鹿児島に伝わり、まさに日本の味を形作ることになるのです。更に時代が下がって江戸時代中期に四国でひょんなことからコウジカビを付着させるカツオブシの製法が発見されます。それまでの製法に比べて長期保存が可能でしかも味がよいということで、製法は秘伝とされましたがあっというまに日本中に広まることになります。

現在もカツオブシは、ただ乾したもの(生利節)、燻製にしたもの(荒節)、カビを付着させたもの(本節)の三種類があり、後ろのものほど高級品とされます。

台湾には日本統治時代にもたらされ、特に南部地方で大量に作られて本土に送られました。戦争終了と共に技術も失われてしまいましたが、数十年前に日本から再び技術を導入し、現在は花蓮・台東地域で台湾製のカツオブシが国内向けに製造されています。カツオブシは多くの台湾料理、特にスープの出汁として使われますので、日本人が台湾料理を食べたときに感じる「妙な懐かしさ」の原因ともなっています。

この『皮蛋柴魚拌豆腐│ピータンの冷奴』も、ピータンさえなければまさに『冷奴』そのもの。最も日本を感じることの出来る台湾料理というのはこういうものなのかもしれませんね。



坨坨雞│トゥォトゥォ鶏

0 コメント

難易度: 調理時間:1時間以内
たまには少数民族の伝統料理もいかがでしょうか?雲南省「彞族」の『坨坨雞│トゥォトゥォ鶏』という料理のレシピを紹介します。ぶつ切りにした肉を調味料で炒めて作ります。

「彞族(イ族)」は四川省、雲南省、貴州などの中国南部やタイ、ベトナム、ラオスなどにまたがって存在する少数民族で、その総数は750万人以上、ほとんどが中国南部に住んでいます。少数民族とはいえかなり数が多いので、四川省には自治州もあります。

自らを「ロロ(羅羅・倮倮)」と呼ぶことがあり、「ロ」は古代彞族で虎の意味、即ち自らを虎の子孫と考えています。暦も虎を使って表す独特の形式です。彞族の祭祀は4000年前から形を変えずに残されているとされ、長大な歴史を誇る中国人ですら実際に彞族の祭祀を目にすると驚いてしまうといいます。現在も独自の身分制度を持ち、高貴な身分の人は黒い色の衣装を身に纏います。

検索エンジンなどで画像検索していただければ分かると思いますが、非常に美しい服飾文化を持ち、また独特の精霊信仰を持つことが特徴です。祖先を遡ると古代羌族に連なるといわれ、古代の中国医学にも繋がる「巫蠱」、つまり蠱術、蠱毒の文化も継承しています。美しい外観と魔術的な巫蠱に通じているため現代でもフィクションの登場人物として描かれることが多い民族です。

古代中国の伝説上の人物「伏羲」は古くは「虙戲」とも書かれ、両方共に虎の字と関連があることからこの彞族の先祖が神話時代の中国古代王朝と関連があると考えられています。古代の道教は伏羲と関連が深く、いわゆる「太極図」の基原は彞族の白と黒の虎が絡み合った図案であるとも考えられています。他にも彞族に残る伝説には古代の洪水や女媧と関連するものが残されており、中国古代史を研究する上で非常に重要な究対象となっています。

うーむ奥が深いですね。

今回の『坨坨雞│トゥォトゥォ鶏』は今まで紹介してきた主流の四川料理とはまったく関係がないですが、彞族の居住地が雲南から四川にかけて広がっているため広義の四川料理ということで…。

ちなみに中国語の「坨」には「粘りついてひとかたまりになる」という意味がありますが、この料理の場合は当て字です。初めて紹介する台湾以外の少数民族の料理となります。祭祀のときに食べられる肉塊は大きければ大きいほど誠意が込められていると考えます。日本ではけして食べられない料理ですが、日本にある普通の材料で再現が可能です。ぜひお楽しみください。



紅油雞片│四川風鶏肉のラー油がけ

0 コメント

難易度:☆ 調理時間:30分以内
昨日のレシピで余った鶏肉を余すところなく活用する『紅油雞片│四川風鶏肉のラー油がけ』のレシピです。甘口男は食材を無駄にしません(笑)!

四川省は山河文化の地で、その地理はかなり複雑です。大河、高山、渓谷、湖沼、瀑布、平原があり、高低差が激しく気候もけして過ごしやすいとはいえません。これらの地理条件が料理に影響し、いわゆる「百菜百味、一菜一格」と呼ばれる料理ごとに特別な味や調理法を持つ体系を生み出しました。

また世界に辛味を特徴とする料理は数あれど、四川料理ほど「麻辣」味を上手く活用した料理は他にありません。強烈な辛味と痺れが特徴の四川料理は一口で脳を強烈に刺激し、食べた人にその刺激と旨味を強烈に記憶させます。このただ辛いだけではない、辛味の中にある旨味が四川料理の特徴です。四川料理を味わうならトウガラシと花椒の「麻辣」だけでなく、その奥にある強烈な旨味をぜひ堪能しましょう。

 というわけで、昨日の『酸酸鶏』では火を通した鶏肉の一部しか使わなかったので、本日は残りの部位を使って『紅油雞片』を作ります。これぞ四川料理!という典型的な辛味と旨味のハーモニーを簡単に楽しめる料理です。ぜひお試しください。



酸酸雞│酸酸鶏

0 コメント

難易度: 調理時間:2時間
昨日紹介した四川料理の一派である塩帮派(たぶん…)の料理をひとつ紹介しましょう。その名も『酸酸雞│酸酸鶏』です。名前はシンプルですがかなり精緻な作り方をします。四川料理の技を堪能できる一品です。

古代の四川省は秦の始皇帝により統一されるまでは、成都に蜀、重慶に巴という別々の国がありました。それぞれ3000年ほど前の遺跡が発掘されており、かなり古い歴史を持つ土地だったことが分かっています。その後項羽が劉邦に漢中と巴蜀を与え劉邦の支配地域になりますが、漢王朝成立後はその険しい自然環境から流刑地として使われます。三国時代に劉備が蜀を打ち立て以降、蜀の名を冠した様々な国がこの地域を支配し独自の王朝を打ち立てます。統一時代以外の四川省にはほぼ一国一王朝があり、これらの時代の宮廷料理が四川料理のベースになっているのです。

北宋の時代以後の四川省は中央に支配されるようになり、このころ成都府、梓州、夔州、利州(古くは漢中、現在は陝西省)の四地域を合わせて「四川」と呼ばれるようになりました。特に成都は商業都市として一大発展を遂げます。

以前も紹介しましたが、明清の時代に「張献忠」による大規模な反乱があり、この反乱軍によって四川省の住民の9割(!)が虐殺されてしまいます。その後100年をかけて周辺地域から移民を集めて復興しますが、古代からの文化や伝統が大部分失われてしまいました。 失われてしまった美食のレシピも相当な数に上るでしょう。中国の歴史はこんな事件ばっかりですが、やっぱり残念ですね。

そして近代。南京に政府を置いていた国民党政府は日中戦争で南京を追われ、重慶に政府を移転していたことがあります。その後南京に政府は戻りますが、今度は共産党に追われ政府は再び重慶に、そして成都を経由して台湾に落ち延びることになります。歴史的には台湾とも関係の深い四川省なのです。


そんな四川省は自貢で古代塩の取引のよって巨財を成した商人たち、彼らが見栄を競って作ったとされる塩帮派の料理の一種『酸酸雞』のレシピです(たぶん…)。材料はシンプルで見た目も普通の料理に見えますが、かなり細かく丁寧な作り方をします。日本で再現してお客さんを驚かせてやりましょう!


川味紅滷水│四川風辛味スープベース

0 コメント

難易度: 調理時間:半日
本日は四川料理を楽しむためには欠かせない『川味紅滷水│四川風辛味スープベース』の作り方を紹介します。台湾で言う『滷味』の四川版で、様々な食材、特に肉類を煮込んで味を付けるのに使われます。

☆本来のレシピは大型の鍋を使って10倍の量で作ります。レシピの分量通りで作るとたぶんスープが煮詰まってしまうので、適宜水を足しながら作りましょう。可能なら2-3倍量、出来たら5倍量以上の分量で作るとレシピ通りに作れます。

四川料理の歴史は秦の時代から続いているとされます。「麻辣」を味の特徴とする四川省ですが、明代にトウガラシが伝わるまではまったく辛くない料理が主体でした。現在の「麻辣」を特徴とする料理は清代に完成されたもので、他の地域の料理と比べて料理の特徴自体はそれほど歴史が長いわけではないのです。辛い四川料理が登場してから数百年、それでもこれだけ世界中で愛されているのですから四川料理の持つ魅力がそれだけ優れているということでしょう。

さて、四川料理は大別して蓉派(上河帮)、渝派(下河帮)、塩派(小河帮)の三つに大別されます。

我々に最もなじみがあるのは蓉派の料理でしょう。これは成都を中心とした地域の四川料理で、日本人の大好きな『麻婆豆腐』や『回鍋肉』など、パッと名前の思いつく四川料理は大体こちらに分類されます。古くは三国志蜀の宮廷料理、王朝統一時代も中央から派遣された高級官吏らの接待料理などがベースとなっており、「川菜の王」とも呼ばれます。複雑精緻、高級感溢れる飾り付けも特徴です。また庶民ら作った伝統的な家庭料理の多くもこちらに属します。

続いて渝派、こちらは重慶を中心とした地域の四川料理で、荒々しく豪快に、食材をそのまま調理したような野趣溢れる料理が特徴とされます。今回のレシピ『川味紅滷水』や『麻辣火鍋』はこの重慶が発祥です。トウガラシがそのままの形でたくさん入っているような料理は大体この渝派の四川料理の流れを汲みます。また中華民国時代に浙江、江蘇、上海(浙江デルタ地域)から多くの移民を受け入れたため、淮揚、上海料理の特徴も一部受け継いでいます。また魚を使った四川料理が出てくれば大体この渝派の料理です。

最後に塩帮派、長江の支流である江流域の自貢周辺の料理で、名前のとおり塩を使った味付けが特徴です。この地域は古代中国において塩の取引で莫大な利益を上げたことで知られ、貴重品(当時通貨の代わり)だった塩がふんだんに使われています。古代の大金持ち商人らが競うようにして新しい形、味を追い求めた結果、複雑怪異、豪華絢爛な料理ばかりになってしまいました。兔などの肉を塩漬けにしたあと調理した冷性料理や、空心菜の茎の空洞に注射器でひき肉を詰め込んで炒めた料理など、独自の工夫を凝らした料理が多くあります。

というわけで四川料理の分類をざっと眺めてみましたが、楽しんでいただけましたでしょうか?さすがに有名な料理体系だけあってレシピも文献も豊富に揃っています。勉強のしやすい料理体系といえるでしょう。それぞれの地域の特徴ある料理を二、三しっかり作ってみれば料理体系の特徴や歴史が見えてきます。 食材や調理法を通じて地理・歴史・世界史・農業を学べるのも料理の一つの楽しみ方というものです。

本日は重慶風…というか、本格的な四川の「紅滷水」の作り方です。大きな鍋を用意してぜひ挑戦してみましょう。材料はメールいただければどれだけでも準備しますよ!

麻醬蒟蒻條│コンニャクと豚肉のゴマソース和え

0 コメント

難易度:☆ 調理時間:30分以内
本日のレシピはこの時期にピッタリ!さっぱりした味付けの『麻醬蒟蒻條│コンニャクと豚肉のゴマソース和え』です。

蒟蒻は日本には最初は薬品として6世紀に朝鮮から伝わり、その後すぐ推古天皇の時代に中国から基原植物が輸入され日本でも栽培がはじまりました。古くは朝鮮から伝わったのですが、現在の韓国ではあまり食べられません。

コンニャクの元になるコンニャクイモの学名は Amorphophallus konjac で、中国語でも蒟蒻と書きます。古代には「妖芋」とも呼ばれ、その薬物としての作用から「去腸砂」などとも呼ばれました。英語では Konjac と綴ります。

蒟蒻が中国の文献に最初に登場するのは7世紀唐の高宗時代に書かれた李善注の《文選》、第四卷、京都中、左太沖蜀都賦というパートです。(筆者も院生時代かなりお世話になった台湾中央研究院(Academia sinica)のデータベースより。すばらしい!)この《文選》が成立したのは7世紀ですが、《蜀都賦》は3-4世紀に書かれた書物の引用に注釈を付けたものです。かなり昔からコンニャクは四川省で食べられていたようですね。

素柰夏成.善曰:周易曰:百果草木皆甲坼.鄭玄曰:木實曰果.皆讀如人倦之解,解謂拆呼,皮曰甲,根曰宅.宅,居也.呼,火亞切.漢書,叔孫通曰:古有春嘗果,令櫻桃熟可嘗也.素柰,白柰也.王逸荔枝賦曰:酒泉白柰.若乃大火流,涼風厲列.白露凝,微霜結.詩曰:七月流火.禮記月令,孟秋涼風至.善曰:毛萇詩傳曰:火,大火也.流,下也.毛詩曰:白露為霜.楚辭曰:微霜結兮眇眇.紫梨津潤,樼側鄰栗罅呼亞發.蒲陶亂潰胡對,若榴競裂.甘至自零,芬芬酷苦毒烈.詩云:樹之榛栗.傳曰:榛栗棗脩.罅發,栗皮坼罅而發也.甘至,言熟也.善曰:西京雜記曰:上林有紫梨.郭璞□上林賦注曰:蒲陶似燕薁,可作酒.馬融西第頌曰:紫房潰漏.又曰:胡桃自零若榴,已見兩都賦.上林賦曰:酷烈淑郁.榛與樼同.其園則有蒟俱宇茱萸,瓜疇芋于句區.甘蔗之夜辛薑,陽蓲許于陰敷.蒟,蒟醬也.緣樹而生,其子如桑椹,熟時正青,長二三寸,以蜜藏而食之,辛香,溫調五臟.蒻,草也,其根名蒻,頭大者如斗,其肌正白,可以灰汁,煮則凝成,可以苦酒淹食之.蜀人珍焉.茱萸,一名蔱也.疇者,界埒小畔際也.楊雄太元經曰:陽蓲萬物.言陽氣蓲煦生萬物也.陰敷,薑生於陰也.日往菲薇,月來扶真.任土所麗,红獻而儲.任土,任其土地所生也.尚書所謂任土作貢也.易曰:百穀草木麗乎土.其沃瀛盈則有攢在官蔣將叢蒲,綠菱紅蓮.雜以蘊藻,糅女又以蘋蘩.楚辭曰:倚沼畦瀛.王逸云:瀛,澤中也.班固以為畦.蔣,菰名也.蘊、藻、蘋、蘩,皆水草也.蘊,叢也.總莖柅柅乃禮,裛於業葉蓁蓁臻·蕡墳實時味,王公羞焉.柅柅、蓁蓁,盛茂貌也.詩曰:爾肴既將.傳曰:苟有明信,澗、谿、沼、沚之毛,蘋、蘩、蘊、藻之菜,可薦於鬼神,可羞於王公.善曰:毛詩曰:敦彼行葦,維葉柅柅.又曰:桃之夭夭,其葉蓁蓁.又曰:桃之夭夭,有蕡

これは三国志でおなじみ蜀の都の様子について書かれた文で、畑でコンニャクが栽培されていたことが記されています。もともと「蒟」と「蒻」は別の部位(?)だったようで、現在のコンニャクに近いのは「蒻」のようです。酢(苦酒)に和えて食べると書かれているので、今の刺身コンニャクのような食べ方を当時からしていたのでしょう。当時も四川人はコンニャクが大好きだったようですね。

さて、コンニャクはその体積に比して非常にカロリーの低い食品として知られ、かつ胃腸の蠕動運動を促進する作用があるため、世界中でダイエット食品として食べられています。アメリカでは白く色をつけたコンニャクがパスタの代わりに食べられたりもしているようです。

コンニャクを利用したフルーツゼリーは一時期日本でも大流行し現在でも売られていますが、世界中で子供やお年寄りが喉に詰まらせて死亡する事件が多発し、各国で法の規制を受けています。

今回紹介する残暑が厳しい今の季節にピッタリのさっぱりした味付けの料理です。簡単でおいしいのでぜひ御家庭でも再現してみてください。


紅豆紫米露│糯米と小豆の甘粥

0 コメント

難易度:☆ 調理時間:1時間以内
暑い季節にはたまらない台湾伝統のスイーツ『紅豆紫米露│糯米と小豆の甘粥』のレシピを紹介します。プチプチの食感がたまらないもち米で作るデザートです。

台湾だけでなく中国南部やシンガポール、香港でも食べられる伝統的な料理で、夏場は冷やして、冬は温めて食べられます。特に夏場はアイスクリームを乗せたりココナッツミルクをかけて食べたりすることもあります。筆者も大好きな料理です。

特に紫米(黒米)は火を通しにくいので、レシピでは圧力鍋を使って調理しています。普通の鍋で作る方はPointを参照してください。

さて、もち米食をハレと結びつけるなど共通の特徴の多い文化圏を「照葉樹林文化圏」と呼ぶことは以前の記事で紹介しました。日本でこの照葉樹林文化が残されているのは正確には西日本までで、東日本には「ナラ林文化」とよばれる別の文化圏が形成されていたとされています。こちらはドングリやソバを食料とする中国北部・モンゴルからシベリア、樺太を通った北回りで文化が流入したとされ、稲の品種改良が行われるまで稲作文化がなかなか根付かなかった地域です。

西日本のかまどに対する東日本の囲炉裏、うどんに対するそば、天秤棒と背負子、牛と馬、ふんどしと袴、あとは味噌の種類や餅の形など多くの差異があることが指摘されています。古代から縄文時代を通して実は東日本の方が圧倒的に人口が多く、西日本と人口が逆転するのは弥生時代になってからです。西日本に伝わった稲作文化は現代からしても圧倒的なスピード(九州から伊勢湾まで数十年)で伝わりました。しかし稲作がナラ林文化の東日本に浸透するには数百年の断絶があり、文化の衝突や気候の違いなどが理由として指摘されています。古代日本は西と東で相当な文化の違いがあり、数百年かけて融合していったとされています。

日本を西と東に二分する古代文化をざっと見てみましたが、ううむ、日本語のルーツが不明なのもこの辺が関係しているのかも知れませんねぇ…。古代日本を二分した西と東の文化!と…、言いたいところですが実はもう一つ、別のルートから伝わり日本に大きな影響を与えた文化があるのです。海女さんに代表される「海人文化」といわれるものですが、機会があればそのうち紹介したいと思います。

今回の料理は「照葉樹林文化」にそのまま属する典型的なものです。上述のように日本の文化を分けるのと同じように中国・台湾も各地の料理を通して大まかに民族や文化を分類し歴史を語ることができます。 筆者もまだまだ勉強中なので詳しく語れない部分もありますが、日本ではなかなか紹介されない分野ですので、いずれ当ブログで伝えて行きたいと思います。

それではレシピいって見ましょう。



琉璃南瓜│琉璃カボチャ

0 コメント

難易度:☆ 調理時間:1時間以内
本日は名前も美しい『琉璃南瓜│琉璃カボチャ』という料理のレシピを紹介します。カボチャを「琉璃」に見立てて作る美しい料理です。

琉璃(または瑠璃、流離、瑠瓈などとも)は古代中国で西方から伝わった宝石ラピスラズリを指す言葉です。古代パーリ語の Veluriyam という言葉が由来になっているそうで、最初期は仏教と共に伝わったので、仏家七宝(金、銀、琉璃、頗梨、車渠、赤珠、瑪瑙)の一つにも数えられます。

漢字が似ているため中国でも琉璃とガラス(玻璃)を混同している人がいますが、琉璃は半宝石の一種で、ガラスではありません。ちなみに韓国では琉璃と書いて유리(ユリ)と読み、こちらはガラスの意味になります。

紀元前三世紀ころに西方の大月氏が製法を中国に伝えたといわれ、その後中国では王朝の庇護を受けて盛んに製作されます。古代中国の王宮や仏閣などの建築物の装飾品として盛んに使われ、また粉末にして青い色素としても用いられました。鉛が含まれているので食器には向きませんが、様々に加工した中国の瑠璃製品は古代世界を席巻しました。

製造には1100から1500度というかなりの高温が必要で、古代は窯の製法が厳重に秘匿され国家機密とされました。戦国時代に瑠璃の製造は最盛を極め、様々な色、形、用途のものが作成されては、世界中に工芸品として輸出されました。この時代に輸出された中国の瑠璃製品は現代でも世界各国の博物館で見ることができます。しかし王朝の交替が激しい中国では東漢の滅亡と共に瑠璃も窯の製法も失われてしまい、以降は近代に入るまで天然の瑠璃を加工したものしか市場に出回らなくなってしまいます。この天然の瑠璃も明代には枯渇してしまいました。

古代とまったく同じ製法(脱蝋鋳造)による瑠璃の製法が再発見されるのはなんと1980年代になってから。それ以降は瑠璃の工芸品や再び中国を中心に流行します。瑠璃は2000年の時を越えて現代に蘇った技術なのです。

そんな瑠璃の名を冠するカボチャの料理『琉璃南瓜│琉璃カボチャ』です。美しさもさることながら、とてもおいしくヘルシーですので、ぜひ再現してみましょう。


百花荔枝│百花ライチ

0 コメント

難易度: 調理時間:1時間以内
季節は過ぎてしまいましたが、ちょっと珍しい料理『百花荔枝│百花ライチ』のレシピを紹介します。日本人にはかなーり珍しい料理に移るかもしれませんが、台湾では最近ライチを使った料理が増えてきました。

ライチは栽培のための条件がかなりシビアで、あれだけ広い中国でも華南から四川省南部、雲南省にかけての地域、そして台湾くらいでしか栽培されていません。霜に弱く、0度以下では越冬できない植物ですが、短い冬の気候にあたらないと結実しないという特徴があり、天然の環境では栽培できる場所が限られているのです。温室などを整備すれば日本でも栽培が可能ですが、かなり手が掛かるので大規模には行われていないようです。

台湾ではライチの旬になると観光農場で「ライチ狩り」が楽しめ、台湾人にもとても人気のレジャーとして定着しています。ライチは収穫した直後から味が落ち始めるので、市場や果物屋で買ったものよりももぎたてのライチの方が数倍おいしいのです。台湾では5-6種類の品種が栽培されており、それぞれ早生、晩生の別があるので、シーズン中は少しずつ風味の違うライチが次々と楽しめます。

このライチ狩りを目的に台湾旅行に訪れるのも悪くないかもしれません。

ちなみにライチ狩りのシーズンは4月の終わりから7月の終わりまで。年度によっては5月から7月頭までの事もあります。冷凍品は日本でも食べられますが、やはりライチは生で味わってみたいものです。

ライチを使った料理はエビとあわせるのが基本で、この料理以外にも様々なものがあります。中華料理独特の果物と海鮮を合わせた料理をぜひお楽しみください。ライチは冷凍品を解凍して作るのが簡単です。

清宮香鍋油│清王宮火鍋油

0 コメント

難易度: 調理時間:2時間
最近清朝王宮のレシピ集を手に入れてしまったので、そっち系のレシピが続いております。本日は清王宮で作っていたといわれる『清宮香鍋油│清王宮火鍋油』です。『香鍋油』は様々な料理に香り付けに使われる調味料で、紫禁城ではこの油を様々な料理の味付けに使っていたそうで、様々な派生レシピが紹介されています。

この『清宮香鍋油』を使った派生料理ももちろんおいしいですが、何よりこの『清宮香鍋油』自体がすばらしい香りで食欲をそそるので、単品料理としてあえて紹介させていただきます。

中国の古代王朝にはそれぞれ専門の厨房があり、後代によって御前レシピ集(?)が編纂されているものもあります。宮廷レシピは宋代あたりからしっかりとしたものが残されており、現在は書店でも購入ができます。ほとんど研究目的の専門書であるためかなり高価ですが…。

清朝の皇帝が“一日”どれくらいの量の食材を調理して食卓に並べていたか、詳細な資料が残っているので紹介しましょう。もう一度断っておきますがこれが“一日”の食卓に並ぶ食材の量です。

盘肉 22斤、湯肉 5斤、ラード 1斤、羊 2匹、鶏 5匹、鴨 3匹、白菜、キャベツ、香菜、セリ、ニラなどあわせて 19斤、大根など 60本、トウガン 1個、漬物類 30斤、ネギ 6斤、醤油、テンメンジャンなど各種ソース類 各 3斤、酢 2斤、朝夕には主食の肉まん 各8皿(各皿30個)、肉まんそれぞれにソース用のごま油 1斤、ゴマ 1.5合、餡 3合、砂糖、胡桃、ナツメなど 各 12両。その他御茶房が供する茶、牛乳などは、御用牛50頭から取れる毎日 100斤の牛乳、御用井戸から取る清水 12缶、茶葉 10斤など。時代によっても違いますが、清代初期は肉といっても虎、熊、狍、獐、鹿、 山羊、野猪、山鶏、野雉、野鴨など野趣溢れるものを調理していたそうですが、後代になると牛、豚などの家畜肉が増えます。この時代の1斤は約600gです。現在の100人分は越えてるんではないでしょうか。

味付けは材料をぶつ切りにして醤油や香辛料で煮込んだワイルドな満州風、しかし盛り付けには精緻な飾り付けがなされていたそうです。

これが「毎日」の皇帝「一人分」です。 他に皇太后、皇后、太子など、これよりも量は劣りますが、それはそれは豪華な食材を毎日毎日少しずつ食べていたようです。そして食べ残した料理を参考に御侍医が体調を診断して翌日のメニューに反映させたり、間食に養生食を提供したりしていました。

ものによっては現在の中華料理の方がおいしいこともあると思いますが、さすがにこの規模は現在でも真似できるものではありませんね。

そんな清王宮で味付けに使われていた『香鍋油』のレシピです。材料さえあれば簡単に作れますので、興味がある方は再現してみましょう。


[材料] サラダ油 ……… 200cc
鶏油 ……… 250g
ラード ……… 250g
酒 ……… 60cc
花椒 ……… 40g
豆豉 ……… 80g
生姜 ……… 80g
トウガラシ ……… 500g
豆板醤 ……… 150g
白豆蔲 ……… 20g
山奈 ……… 5g
桂皮 ……… 5g
甘草 ………10g
草果 ……… 5g
砂仁 ……… 25g
霊草 ……… 10g
丁香 ……… 5g
月桂葉 ……… 25g
八角 ……… 5g
小茴香 ……… 50g

[作り方]
1.材料を全て鍋に入れ、弱火で1時間、時々かき混ぜながら焦がさないよう加熱する。

2.火を止めて荒熱を取ったらボウルなどに入れ10分ほど置いておく。

3.油の上澄みをすくい取って漉したら完成。

Point!
低温でじっくり成分を抽出しましょう。

このレシピなら油は深い紅色に色づきます。ガラスの瓶などで保存しましょう。ラー油代わりに様々な料理に使えます。

火鍋のほかにも、ラーメンや、魚介類の味付けなどにも使えます。

トウガラシの量は日本人向けには半量程度まで減らした方がよいかもしれません。ちょっとひと手間掛けるなら、割って種を抜いておきましょう。


米乳│米乳

0 コメント

難易度:☆ 調理時間:2時間
本日は100%植物性の牛乳様ドリンク『米乳│米乳』のレシピを紹介します。いわゆる『米漿』にちょっと手を加えて作る料理で、サラサラした喉越しは一瞬本物の牛乳と錯覚してしまうほどです。素食の一種でもあります。

さすがにカルシウムの量は牛乳には及びませんが、米蛋白、食物繊維、不飽和脂肪酸、ビタミンB群、水溶性の多糖類の含量は牛乳と同等かそれ以上、米の産地にも寄りますが各種の微量元素も豊富に含むので栄養源としても優秀です。

精米する前の玄米の段階では、米は胚乳、糠層、胚芽の部分に分けられ、それぞれ全体の92、5、3パーセントの割合を占めます。味はともかく栄養の観点から見れば体積の3パーセントしか含まれない胚芽部分に米の栄養成分の70パーセントが含まれており、玄米が健康によいとされる所以となっています。よくある玄米健康法が体にいいのは間違いないのですが、料理には味も重要なのもお忘れなく。

玄米はきちんと正しく調理しないと食べにくいどころか、たぶん胃腸がやられます。普通の米と同じように炊くだけじゃだめですよ!健康目的で毎日食べるなら正しい食べ方を勉強してからにしましょう。

さて、精米して胚乳の比率を上げたお米の栄養を見てみましょう。実は胚乳の栄養分も層状になっており、特に米タンパク質は胚乳部分の外層に集中しています。この米タンパク質、実は食用植物中ぶっちぎりの完全さを誇り、その含量比率は牛乳とほぼ同じ。消化も容易で血管の柔軟性を保ち、血圧を下げる効果があることも分かっています。さすがに肉類のタンパク質に匹敵するとまでは行きませんが、米タンパク質の健康パワーはこれからもっと注目されることでしょう。まぁ、こちらもあまり含量が高くなりすぎると炊いたときにパサついて味を損なうのですが…。

我々日本人が古来より主食としている米の栄養素を余すところなくいただける『米乳│米乳』、牛乳を飲んでおなかが痛くなるという人は、こちらを代わりにしてみてはいかがでしょうか?カルシウムと鉄分が不足しそうですので、小魚などを一緒に食べれば完璧です!

清宫美容秘方│清王宮美容石鹸

0 コメント

難易度:☆ 調理時間:一瞬
思った以上に好評なので美容レシピをもう一つ行って見ましょう。甘口男は美しい女性の味方です!時代は下がって清の末期に紫禁城で使われていたとされる『清宫美容秘方│清王宮美容石鹸』のレシピです。

なんと西太后が若い時から使っていたとされる石鹸(美容秘方)で、たしかに晩年の西太后も年相応の皺やたるみはありますが、皮膚には染み一つありません。この処方のおかげでしょうか?さすがに清朝末期といえば日本はもう大正時代。このころになると写真や海外記者による資料が豊富に残っているため、現代とも比較が出来るのがよいですね。残念ながら西太后は晩年の写真しか残っていませんが、おばあちゃんになった写真を見ても若いころはさぞ美しかったのだろうと想像出来ます。現代では麝香があまりにも高価なためほとんど使いませんが、もし手に入るなら完全な処方を再現したいものです。

この処方は光緒30年(1904年)6月23日に宮廷の御薬房から流出して民間に広まったという曰くが付いています。この時期の紫禁城周りは戦争に、内乱に、権力闘争に、ドロドロのスキャンダルが渦巻いていました。その一環でこの処方も流出したのでしょうか?

またオリジナルの処方では動物の膵臓を使って薬物を固めますが、本レシピでは普通の石鹸に練りこんで作ります。現代版の方が安価で作るのが簡単です。男の私も一度は試してみたい美容処方です。


大餅包小餅│士林名物餅パイ

0 コメント

難易度:☆ 調理時間:
士林夜市五大名物料理の一つ(?)といわれる『大餅包小餅│士林名物餅パイ』のレシピを紹介します。1980年に店長のふとした思い付きではじまった料理とははたして…?

一般に言われる「士林夜市五大名物」はこの『大餅包小餅』をはじめ『燴炒花枝羹』、『檸檬愛玉』、『士林大香腸』、『藥燉排骨』の五つ。ですが、一般にはあまり浸透していません(笑)。筆者もこの記事を書くために調べて初めて知りました。

もともと士林の夜市でサクサクの『酥餅』を売っていた陳慶昌氏は、ある日友人を呼んで自分の店の前で『大餅』の販売をさせます。商売は可もなく不可もなく営業していましたが、ある日『大餅』を作っていた友人が病気になり、店を畳むことになりました。陳慶昌氏は友人に感謝の意を込めてしばらく一人で『大餅』と『酥餅』を販売していましたが、1980年のある日、突然何かを閃いて『大餅』で『酥餅』を包んでしまいます。

そしてなぜかこれが大ヒット。 今では士林夜市の名物と呼ばれるまでになりました。もちろん塩以外何の味も付いていないただの小麦粉料理というわけではなく、中に色々な具を詰めて食べます。

この『大餅包小餅』の元祖である「老士林大餅包小餅」というお店。今でも営業していると思うのですが、もともとあった場所は現在区画整備の工事中で鉄柵が張り巡らされています。電話は繋がるのですが、FAXのような音(?)がするので、何処に移転しているのか調べられませんでした。というわけで士林夜市を訪れたら、元祖ではない他のお店でお楽しみください。

住所は
台北市士林區基河路60號(士林夜市第533攤)
士林夜市の室内フードコートで食べられます。



宋宮面油│宋王宮の美容オイル

1 コメント

難易度: 調理時間:1時間以内
昨日に引き続き美容のレシピをひとつ。『宋宮面油│宋王宮の美容オイル』というフェイシャルオイルの紹介です。

北宋の太宗趙光義の在位時に王宮で女性らが使っていたとされる美容処方です。現代化粧品に勝るとも劣らないすばらしい配合となっています。外用、しかも美容目的とあって内服で病気の治療では普通使わない珍しい薬物がいくつか使われています。簡単に見てみましょう。

まずは「零陵香」、すばらしい芳香を持つ生薬で解毒、殺菌、血流増加などの効果があります。香りに蚊や蠅などの害虫を遠ざける効果があるとされ、宮廷では観賞用の植物の下草として植えられていたこともあります。

「甘松」は中国南西部からチベットにかけて生えるオミナエシの仲間で、淡い甘味が特徴の生薬。消炎、血流改善の効果があります。

「干胭脂」は特殊な昆虫から取れる赤い色素で、現代でも超高級化粧品用の色素として使われます。宋代も海外から輸入していました。抗酸化作用を持ち、紫外線でも分解しないという特徴があります。近年高級化粧品の需要が高まっていることから価格が跳ね上がっており入手が困難です。

もとの処方では「腊鹅脂」というガチョウの燻製の油を用いますが、質のいい油脂が手に入る現代ではワセリンや他の植物油を使って作るのが現実的でしょう。薬局でワセリンを購入してください。

処方中の藿香、零陵香、山奈、甘松はすばらしい芳香と共に毛穴に詰まった汚れを除き、血流を改善する作用があります。(入手が難しいので使わなくても作れますが)干胭脂は皮膚に赤味を与えると共に肌に停滞した毒気、滞った血液を取り去ります。

本来のレシピ通りで作ると非常に高価になってしまいます(特に「麝香」…)。なくても作れますので、手に入るものだけで試してみましょう。筆者も作ってみたくなりました。

鹹蜆仔│台湾風シジミの醤油漬け炒め

0 コメント

難易度:☆ 調理時間:半日
本日の料理は『鹹蜆仔│台湾風シジミの醤油漬け炒め』です。シジミを凍らせてから醤油につけて炒めるという珍しい調理法の台湾伝統料理です。

シジミは中国語でも「蜆(子)」と書きます。古代から漢字表記がほとんど変わっておらず、多くの本草書でその名を見ることができます。台湾語でシジミは「蜊仔(ラアー)」といいこの料理も南部では台湾語で『鹹蜊仔(ギャラアー)』と呼ばれます。

日本でもシジミエキスを使った健康食品が流行していますが、中国でも古代よりシジミはすばらしい健康効果のある食材として珍重されてきました。唐代に書かれた《新修本草》という書物の記載が有名なので抜き出してみましょう。

“蜆、冷、無毒。主時氣開胃、壓丹石藥、及疔瘡、下濕氣、下乳、糟煮服良。生浸取汁、洗疔瘡。多食發嗽、並冷氣、消腎。陳殼、療陰瘡、止痢。蜆肉、寒、去暴熱、明目、利小便、下熱氣、腳氣、濕毒、解酒毒、目黃。浸取汁服、主消渴。爛殼、溫、燒為白灰飲下、主反胃、吐食、除心胸痰水。殼陳久、療胃反及失精。 ”

全体に体を冷やす働きがあり、体内の熱を取り去る働きに優れているようです。また二日酔いにも効果があり、その他の効能から総合すると肝臓の保護作用などもありそうです。まさに現代のシジミエキスが謳う効能と同じですね。

優れた健康効果を発揮するシジミ、おいしく調理してお楽しみください。実際の調理は数分で終わります。


永和公主藥澡豆方│永和姫の洗顔薬

0 コメント

2014/8/12 記事の一部を改変
2015/4/1 記事の一部を改変
難易度: 製作時間:一瞬
多忙であまり更新できていない薬膳シリーズ、ファンの皆様には申し訳ありません。

「もっとめちゃくちゃ珍しいのとかも紹介してよ」という意見を薬剤師仲間からいただきましたので、少し毛色を変えて、今回は「洗顔薬」の作り方です。

唐代德宗李适の女児である永和公主が洗顔に使っていたとされる薬で、皮膚の水分保持力を高め、血流をよくし、角質を去り、光沢を益すという効果があります。なんとも…現代的というか千年以上前から女性が美容に求めるものはほとんど変わっていないようです。原典は宋代の薬局方である《太平聖惠方》。巻四十の澡豆諸方の項に載っている歴史ある洗顔処方です。

面白いのは皂荚(そうきょう)というマメ科植物のマメの殻を使っていること。学生時代は皂荚は「サポニンという成分を豊富に含み水と振り混ぜるとよく泡立つので、古くは石鹸の代用にした」と習ったものです。当時はまさか本当にこれを使った処方を紹介する日が来るとは思いませんでした(笑)。

作り方が2種類あるので、二つとも紹介しておきます。レシピ2の方が作るの簡単ですが材料の取引が条約により規制されています。

皇帝の娘が使っていたとされる美容のレシピ、皆様でも試してみましょう。

切仔麵│切仔麺、チェラミー、チェザイミェン

0 コメント

難易度:☆ 調理時間:30分以内
本日は伝統的な台湾料理『切仔麵│切仔麺、チェラミー、チェザイミェン』のレシピを紹介しましょう。以前も紹介したことがありますが、少しレシピが異なります。

正しくは『摵仔麵』と表記し、閩南語で Chhe̍k-á-mī のように発音します。もともとは福建省で黄色の油麺に透明のスープを加えた湯麺、または拌麺を総称して言う言葉でした。「摵」の字は中国語で se4(木から葉が落ちるの意味) とか mi2(叩く、打ち鳴らすの意味) とか発音するそうですが、台湾語(閩南語)では手を上下に激しく振り回す動作、または茹でた麺の水気を切るための笊を指します。福建省の一部にはスープを使わない『摵仔麵』がまだ残っているそうです。

日本統治時代の台北縣蘆州鄉(現在の新北市蘆州区)で店を構えていた周烏豬という人が元祖とされます。『摵仔麵』が台湾に伝わった清朝末期からすでに音の似ている「切(仔麵)」とよく書き間違えられていたそうですが、初代の創業当時はまだお店の看板には『摵仔麵』と表記されていたそうです。戦時中は物資の調達が困難になり店は閉店しますが、南洋地域に出征していた弟子の一人楊萬寶という人が戦後に店を復興させます。この時から看板も『切仔麵』と書き間違えられてしまい、この誤表記が現在まで伝わっているといます。

『切仔麵』は初代から「味を変えないこと」を条件に厳格に技術を受け継いで来ました。現在に伝わる『切仔麵』の血脈はつまり日本統治時代の台湾の味をそのまま保存しているといえます。多くのレシピ本で様々な『切仔麵』の作り方が紹介されることはあっても、初代からの味を受け継ぐ『切仔麵』を食べるには実際にお店に足を運んで食べるしか方法がありません。

もともとはお寺の門前ではじまった『切仔麵』のお店、現在も毎年農暦9月18日には蘆洲の観音祭りと共に「摵仔麵嘉年華」が開催されます。各地の『切仔麵』の血族らが一同に会し「味を変えていないか」を確かめるためにお店を出すのです!

今年2014年の農暦9月18日は西暦で2014年11月10日です。一ヶ月ほど催しが開催されますので、もしこの時期に台湾に滞在している方がいらっしゃれば、蘆洲(台北からMRTで行けます)の「摵仔麵嘉年華」に参加してみましょう。毎日無料で『切仔麵』が食べられます!
 

香菇油飯│シイタケ油飯

0 コメント

難易度:☆ 調理時間:3時間
本日のレシピは『香菇油飯│シイタケ油飯』です。この料理のようにもち米を醤油と具で蒸して作る台湾料理を総称して『油飯』と呼ぶこともあります。

もち米(糯米)は中国語でも「糯米」と書きます。我々が主食として食べるうるち米(粳米)の変種で、アミロースをほとんど含まないため加熱して突き崩すと非常に粘りが出るのが特徴です。日本では餅や白玉粉、お菓子などに加工されて用いられます。ラオスやタイの一部では主食としてもち米を食べるそうです。

もち米を食べる文化は日本-台湾から福建-雲南、また東南アジアに広く分布しています。これらの地域では「なぜか」共通してもち米とハレ(成人、婚姻、祭祀、出征、誕生など)と強く結びついているという特徴があるそうです。日本でも正月の餅つき、鏡餅、成人式の赤飯、棟上時の餅まき、縁起物のあられなど、モチ=ハレという印象が強いのではないでしょうか?台湾(福建)でももち米を使った料理は婚礼時の湯圓、男子誕生や家屋建築時の油飯、端午節の肉粽、中元普渡や掃墓(御墓参り)の時の草仔粿(よもぎ餅)など、漢人、客家、原住民の区別なくもち米を使った料理は様々な祝い事に用いられます。その他もち米料理を食べる地方でも似たようなものです。

このモチ=ハレの構図やその他の文化を総合的に分析して1970年代に学会に発表したのが、日本人中尾佐助、佐々木高明らで、モチ以外にもお歯黒、刺青、焼畑、鵜飼、発酵食品、絹、漆器、家屋、服飾、更には神話や伝説などが共通する一つの文化圏を提唱しました。これを「照葉樹林文化論」といい1980年代以降に非常に流行します。現在でも一定の支持を得ており、研究が進められています。日本に稲作が伝播したとされる約5000年前の文化に言及しているため批判も多いのですが、完全に否定するのも難しく現代でも論争が続けられています。これらの文化はまた倭人と呼ばれる民族とも関連が深いとされ、《魏志倭人伝》以前の日本の文化を紐解くカギとして研究が続けられています。

この説に影響を受けた文化人も数多くいます。我々がよく知る代表的な人物といえば宮崎駿でしょう。映画《もののけ姫》はまさにこの「照葉樹林文化論」を特徴的に描いたもので、もう一度見直してみると様々な発見があると思います。

現代ではハレとケの区別が曖昧になり、この『油飯』も日常いつでも食べられる普通の料理となりました。それでももち米を使った料理の持つ「めでたい」感覚はどこか日本人の心に響くものがあります。炊飯器でも作れますのでぜひ再現して異国のハレ文化を体験してみましょう。


炸芋棗│タロイモ揚げ団子

0 コメント

難易度:☆ 調理時間:30分以内
台湾の宴席料理『炸芋棗│タロイモ揚げ団子』のレシピを紹介します。台湾ではお菓子としても食べられる伝統的な料理で、タロイモ(またはサトイモ)で餡を包んでサクサクに揚げて作ります。

地域によっては『炸芋角』などとも呼ばれる料理で、台湾をはじめ中国南部地域で広く食べられます。タロイモは大きな芋の周辺に小さな子芋が連なって収穫されることから、子孫繁栄や家族の賑やかさを象徴する食べ物とされ、この『炸芋棗』も古くは結婚式で食べられる代表的な宴席料理でした。また母芋と子芋が連なることから母親の愛情の象徴ともされました。

タロイモは農暦の八月から中秋のあたりに収穫の最盛期を迎えます。福建省や台湾には「七月半鴨、八月半芋」という食に関する諺もあり、古くから八月のタロイモが最もおいしいと言われています。

明清時代に台湾に渡ってきた台湾の漢人は、福建省や広東省に残る古くからの風習を少しずつアレンジしながら現代に伝えています。「八月にタロイモを食べる」という風習はもともと閩南地方の風習で、台湾にも当初はそのままの風習が伝えられました。台湾の漢人らは福建省と違い慢性的な倭寇の襲撃に悩まされていました。そこで米以外の兵糧食が発達することとなり、中でも熱量の高いタロイモが特に重要視されました。これにより台湾ではタロイモに吉祥以外の意味、「団結」「活力」「闘争」などの寓意が加えられることとなったのです。

さらに!台湾の原住民の一部にはタロイモを船に見立て、大漁の願掛けを行う部族がありました。しかも中国語では「芋(Yu4)」と「魚(Yu2)」の発音が似ているため、台湾の漁民らはタロイモに漁の安全や豊漁の願いを込める事にもなりました。

こうしてタロイモに様々な寓意が加えられるに伴ってタロイモの消費量はますます増え、様々な調理方法や味付けが生まれました。台湾は中華料理の世界でも特にタロイモ料理が発達した地域といわれています。タロイモは台湾料理を代表する食材の一つですので、旅行に来たら様々なタロイモ料理を楽しんでみてください。

タロイモ料理の多くはサトイモで代用できます。



排骨酥湯│パイクー揚げスープ

0 コメント

難易度:☆ 調理時間:2時間
お待ちかね『排骨酥湯│パイクー揚げスープ』のレシピが登場です!筆者も大好きなパイクー(豚バラ肉)揚げ、単独でも美味いのに中華スープまで付いてきます。

レシピで紹介する『排骨酥│パイクー揚げ』は以前もいろいろなレシピを紹介しております。そちらも参考にしてください。

さて、ブログでレシピを紹介するようになってもう二年目なのですが、時々「○○は何処で食べられますか?」という質問をいただくことがあります。もちろん筆者おすすめのお店を紹介していますが、今回は自分で台湾の美食を探す方法をお教えしましょう。

簡単なのは台北市に滞在予定なら「台北市 (料理名)」などのキーワードで検索していただくことです。この時ポイントは当ブログの料理名にあるように「繁体字」で検索すること。よほどマイナーな料理でない限り台湾人が書いた美食ブログなどがヒットすると思います。料理の写真も載っているので参考にしましょう。大体記事の最後にお店の住所が載っていますので、住所をコピーしたらこれまた検索してみましょう。地図がでてくるので、滞在先のホテルからの距離や行き方を調べたら、後は料理名を紙に書いて出発!タクシーで向う場合は住所も紙に書いておきましょう。日本語が通じないお店でも、注文が出来ます。旅行ガイドには載っていない本物の台湾料理を楽しめるでしょう。

少し高度な方法は台湾の検索サイトを使うことです。この時も漢字は全て繁体字で!これも当ブログの料理名をそのままコピーすれば使えます。地名もそうですが、あわせて「推薦」、「最好吃」などの中国語キーワードで検索すれば望みの結果が得られることが多いです。

中国語が読めなくても、漢字だけでおいしいお店を探せるのが台湾のいいところです。ツアーの料理に不満があるなら、少しがんばって自分でお店を調べてみるといいかもしれませんね。もちろん、問い合わせていただければHigeneおすすめのおいしいレストランを紹介します!

料理によっては台湾のお店で食べるより日本で自分で作った方が簡単でおいしいこともあります。それではレシピ行ってみましょう!


餛飩湯│里港風ワンタンスープ

0 コメント

難易度:☆ 調理時間:2時間
本日は高雄の里港地区の名産『餛飩湯│里港風ワンタンスープ』のレシピを紹介します。いわゆるごく普通のワンタンスープです。

里港は台湾最南部の都市である屏東市の北部にある地名で、すぐ北は高雄市の南端と接しています。清朝時代は「阿里港」と呼ばれていましたが、日本統治時代に「阿」が取れて現在の名称となりました。古くは高雄市の一部でしたが、1950年になぜか屏東市に編入されてしまいます。

屏東市には「客家六堆鄉」と呼ばれる客家の人々が暮らす有名な地区がいくつかあり、里港もそのひとつ。「客家六堆鄉」は清朝時代に「朱一貴」が起こした反乱から身を守るために客家の人々が設立した自警団が由来になっており、現在に至るまでその他の地域における客家コミュニティよりも結びつきが強いことで知られています。正確には現在の高雄から屏東にかけての里港高樹、九如、鹽埔、内埔、竹田、長治、麟洛、萬巒、新埤、佳冬地区の客家のコミュニティが「客家六堆鄉」で、清朝時代の台湾における多くの文化や風俗をそのまま保存しています。客家の自警団が由来になっているコミュニティーは台湾だけでなく中国、その他の中華圏でも珍しいもので、文化学や民俗学のよい研究材料になっているようです。

里港のワンタンスープが有名になったのは日本統治時代からで、台湾では割と長い歴史があります。新鮮なひき肉にラードを加えて口当たりを滑らかにしているのが特徴で、他はあくまでシンプルに作ります。


浮水魚羹│台南風白身魚のあんかけスープ

0 コメント

難易度: 調理時間:2時間
台南地方の有名料理『浮水魚羹│台南風白身魚のあんかけスープ』のレシピです。ふわふわの「魚羹」から自作します。本来は以前紹介した『浮水肉羹│豚肉のとろみスープ』の記事内で紹介したサバヒーを使った台湾の名物料理ですが、レシピでは普通の白身魚で作っています。

今までも何度か紹介していますが、「羹」とはとろみをつけたスープで肉類を煮込んだもの。「羹」の字に「羊」の字が“二つ”も使われていることはお分かりでしょうか?上部の「羔(こひつじ)」の羊と下部の「美(おいしい)」の羊です。字からも分かるように、もともとは「羊肉」を使って作る料理でした。紀元前から伝わる由緒正しい料理です。

「羹」は福建省を経由して台湾に伝わった後、台湾独自の食材を使って様々な「○羹」料理を生みました。特に台南の『浮水○羹』はとても有名です。台湾を訪れる観光客が普通に口にする台湾料理は、近代、特に日本統治時代に生まれた北部料理が主だと思います。しかし本当の台湾美食は、明・清朝時代から伝わる台南の地方料理(特に家庭料理)を味わわずして語れません。

夏休みで多くの方が台湾を訪れることと思いますが、時間に余裕があればぜひ台南を訪れて、北部とは違う独特の伝統料理を味わってみてください。台南の料理店は基本的に北部の料理店よりハズレが少ないです(笑)。


各地のおいしいレストランが知りたいという方は、今すぐメッセージを!ガイドブックに載っているお店よりはおいしいお店を紹介できると思います(笑)。


羊肉羹│羊肉の卵あんかけスープ

0 コメント

難易度:☆ 調理時間:30分以内
岡山の名産『羊肉羹│羊肉の卵あんかけスープ』のレシピを紹介します。とろみを付けた中華スープに溶き卵と薄切りにした羊肉を加えて作る料理です。

岡山の名産!といっても日本の岡山県のことではなく、台湾の高雄市岡山区のこと。音読みで「コウザン」と読むのが正式ですが、どうしても「おかやま」と読みたくなりますね…。古くは川のほとりに一人の老人が宿を作り、その場所を基点に発達したことから「阿公店」と呼ばれ、日本統治時期の1920年に周辺にあった「大崗山」と「小崗山」をあわせて岡山と名前が変えられました。当時は空軍の飛行場が作られ、その跡地は台湾に引き継がれて現在の空軍士官学校となっています。

台湾には日本統治時代に日本人が名付けた地名が数多く残っています。高雄、基隆、汐止、板橋、田中、美濃、松山など…。また温泉旅館や料理店に目を向ければ、京都、長野、福岡、長崎、宮崎、大阪、群馬など、日本の都道府県名を冠したものも少なくありません。さらには中小企業の名前ともなると台湾人経営なのに日本人の姓を関したものがたくさんあり、「どれだけ日本ブランド好きなんだよ!」と叫ばずにはいられないくらいです。「→ここ」に自分の苗字を入れて検索してみると、同じ漢字を使った台湾の企業が見つかるかもしれません(笑)。

岡山は昔から良質の羊肉の産地として知られ、今回の料理『羊肉羹』も岡山の名物料理となっています。冬場に良く食べられますが夏に食べてもおいしいです!なにより作るのがとても簡単です。ぜひお試し下さい。

焢肉飯│豚のしょうゆ煮込み飯

0 コメント

難易度:☆ 調理時間:2時間
本日は台湾伝統の料理『焢肉飯│豚のしょうゆ煮込み飯』のレシピです。以前同名でご飯なしの『焢肉│豚肉の中華ソース煮込み』を紹介したことがありますが、そのご飯・お弁当バージョンです。

『焢肉』は「炕肉」、「爌肉」とも書かれ、コンロウのように発音します。「焢」の字は中国語でhōngと読みますが、台湾語では「Khong」と読み、台湾ではこの料理の」を台湾語で、「肉」を中国語普通話で発音します。なかなか珍しい発音の料理です。

もともと陶器を焼くための窯に食材を入れた鍋を入れ、陶器と一緒に加熱する調理法を台湾語で「焢」と呼び、そうして作られた料理(またはその窯)を「焢窯」と呼びました。米作が盛んだった時期の台湾では、農閑期に誰かの田んぼに農家の人々が食材を持ちより簡易の窯を作って話し合いをしながら焢窯」を調理したといわれています。この『焢肉飯』もその当時の料理が由来となっているそうです。もともとはイモ類、タケノコ、肉、野菜など様々な具材を一昼夜ほども加熱して作っていたそうですが、現在は豚ばら肉(彰化地方では豚もも肉)を使って普通の鍋で作られます。圧力釜がある方はそれを使って肉が溶けるまでじっくり煮こんで作るとよいでしょう。

ちなみに台湾北部で「焢肉飯」と呼ばれるものは、南部では「滷肉飯」と呼ばれることもあります。台湾の北と南で違う名前の料理というのも結構ありますので、台湾南部に遊びに行く人は注意しておくと楽しいかもしれませんね。

それでは魅惑の『焢肉飯』のレシピです。甘辛く、冷えてもおいしいので汗をかく夏場のお弁当にピッタリですよ!



糖葫蘆│プチトマト飴

0 コメント

難易度:☆ 調理時間:一瞬
中国伝統の甘味『糖葫蘆│プチトマト飴』の作り方です。台湾では夜市で簡単に手に入る伝統的なお菓子でプチトマト以外に、イチゴ、スモモ、ミカン、ヤマイモなど各種の野菜や果物を串に刺し、赤い色素で着色したカラメルをかけて作ります。

名前にある「葫蘆」とはひょうたんのことで、丸い果実を串に連ねて刺した姿がヒョウタンに似ていることから名付けられました。中国全土でその地方の特色ある果物を使って作られるので、日本で作るなら皆様の地元の果物を使って地方色を出して作りましょう。

起源に関してはいくつか説があります。有力なものに、宋代、南宋の光宋皇帝は寵妃が病に倒れたとき、その治療法を民間に広く求めま、そのときに収集した処方のうち「山裡紅(サンザシの仲間)」に水で煮込んだ氷砂糖をかけたものが形を変え現在の『糖葫蘆』になったというものがあります。他に伝わっている伝説は大体この話に脚色したり登場する人物を変えたりしたもので、時に長編ラブストーリーになっていたりもします(笑)。


日本でいるリンゴ飴みたいなもので、台湾人をはじめ中国人はこの料理を見ると子供の頃の思い出が蘇るそうです。簡単に作れますので、ぜひ地元の果物を使って再現してみてください。



豆花│豆花

0 コメント

難易度:☆ 調理時間:1時間以内
全国1億2千万の台湾ファンの皆様!いよいよこの料理を自作するときがやってきました!今回は『豆花』のレシピです。石灰を加えて作る台湾ならではのデザート、台湾好きならぜひ一度は自作したいスイーツです。

『豆花』は台湾での呼び方ですが、類似の料理は中華圏全土にあります。日本の豆腐と違い石膏(時ににがり)で固めて作るやわらかい大豆加工食品で、中国北方では「豆腐腦」、台湾を含む南方では「豆花」または「豆腐花」、その他方言では「老豆腐」、「豆腐生」、「豆凍」などとも呼ばれます。

台湾で食べられるものは甘いデザートとしての『豆花』だけですが、中国北部では出汁の効いたスープに入れたり、四川省では辛く味付けしたりしても食べられます。台湾式の甘い『豆花』は福建省を始め、香港やマレーシア、シンガポールなどにもあり、通常は小豆や各種フルーツ、タピオカなどを添えて、夏は冷たく、冬は温かくして食べます。一碗20-40元ほどと安いこともあり、現地人もおやつ代わりに食べることが多いようです。ココアを混ぜた『可可豆花』といったアレンジされたものも数多くあります。暑い夏に台湾を訪れる方は、この冷たい『豆花』が大好きという方も多いことでしょう。

中国北方ではスープの具にすることが多く、甘くして食べることはほとんどありません。海鮮スープや卵スープに加えられることが多く、スープにとろみを付けたものも好まれます。豆腐の代わりに日本の『味噌汁』や『澄まし汁』などに入れてもいいですね!

ちなみに中国から日本に豆腐(見たいなもの)が伝わったのは遣唐使を通してといわれており、その後中国と日本の豆腐はまったく別の進化・発展を遂げることとなります。『豆花』は中国で発展した豆腐の一種で、日本の豆腐とはまったく異なるサラサラフワフワの食感が特徴です。

材料で使う「焼石膏(CaSO4・1/2H2O)」は通常の石膏(CaSO4・2H2O)を過熱により脱水したもの。通常の石膏は薬局や歯医者(?!)などで手に入りますが、この料理には使えません。家族に整形外科がいれば、ギプス用焼石膏が手に入るかも知れませんが…(笑)。まぁ…薬局で注文して購入するのが間違いないですね。


滷肉飯(4)│ルーロウファン(4)、台湾肉飯

2 コメント

難易度:☆ 調理時間:1時間以内
久しぶりに『滷肉飯(4)│ルーロウファン(4)、台湾肉飯』のレシピ行って見ましょう!第四弾です!今回は香辛料をまったく使わずに作ってみます。

過去紹介した別のレシピはこちら。
滷肉飯,魯肉飯(1)│ルーロウファン
滷肉飯,魯肉飯(2)│ルーロウファン
滷肉飯,魯肉飯(3)│ルーロウファン

今までなるべく避けてきましたが、今回「醤油膏」なる調味料が登場します。台湾独自の調味料で醤油にデンプンや砂糖を加えて煮詰めて作るペースト状の調味料です。台湾以外の中華料理ではまず使われることはなく、中国大陸部で使われるものはほとんどが台湾からの輸入品になります。台湾だけで流通する不思議な調味料なのです。

台湾の飲食店のテーブルの上にのせられている「醤油」がサラサラしていない場合、間違いなくこの「醤油膏」が入っています。『鍋貼』店、熱炒店、客家料理店、その他各種レストラン、夜市の出店など台湾のあらゆるレストランでこの「醤油膏」は使われており、台湾の味を演出するのに一味買っているというわけです。

この「醤油膏」を作っているのは台湾でもっとも有名な醸造会社「金蘭食品」。昭和11年(1936年)創業の日本時代の会社「大同商業」が前身で、日本の醸造技術を台湾に持ち込んだ醤油がヒットしました。戦後二代目社長の時代に台湾全土で醤油といえば金蘭と呼ばれるまでになり、三代目社長時代に設備を自動化、また焼肉のタレが大ヒット、現在は調味料以外に加工食品なども手がける総合食品商社として台湾経済を牽引しております。悲しいニュースもあったりしましたが…。

国際空港に程近い桃園市内に本社と共に台湾醤油博物館もあり、そこでは「醤油膏」のDIY体験も可能です。もちろん持ち帰れます。

「醤油膏」は醤油に少量の澱粉と砂糖を加えて加熱するだけで作れるので、好みの味を自作してみるのもいいかもしれません。

それではシンプルな『滷肉飯』レシピ!お楽しみください。


 
日本で作れる台湾料理 © 2012 | Designed by Rumah Dijual , in collaboration with Web Hosting , Blogger Templates and WP Themes
FB FACEBOOK TW TWITTER